ペルシャ美術の展示会 プーリー & ダリア・アナビアン コレクション
2018.5/21(月)- 6/2(土)於 大阪市西天満の山木美術
ペルシャの伝統楽器、サントゥール奏者としてご活躍のプーリー・アナビアン女史の演奏をティーパーティーで披露しました。
ペルシャ王室の美術顧問だったラヒム・アナビアン氏が生涯をかけて収集したペルシャ古美術品を展示しました。
紀元前からの動物型陶器、9世紀の二彩釉皿、12世紀の青銅器など、全てはお酒を飲む容器
銀化した4世紀のシリアのガラス
優雅な外国人が異人館に住んでいた1970年代の神戸北野町。クッキーとミルクが出るおやつの時間に合わせて同級生のアメリカ人の家に遊びに行きました。小学校3年生の同級生の部屋は、広さも天井の高さも私のリビングルームの2倍あり、壁も家具も白に統一され、お城のようでした。そんな異人館がたくさんある北野町の迷路のような筋を散策すると、そんなお城が放置されているものもあれば、カフェやレストランに改装されているものあります。日本家屋と異人館が混合し、好奇心が掻き立てられる街です。私の同級生はアメリカに戻り、その家は伝統的建造物に指定されている神戸北野美術館として公開されています。
私が神戸カナディアンアカデミーに通っていた1970年代、私の祖父はイランでパーレビ国王の美術顧問を務め、ペルシャ古美術を収集していました。1979年のイラン・イスラム革命が起き、それまで収集した文化財を一年かけてニューヨークと関西に避難させてから家族全員がイランを去りました。この秋、ペルシャ秘宝をミュージアムに改装された私の同級生の白い部屋に展示されることになりました。
と、毎日新聞に掲載されたエッセイです。
それらをプーリー・アナビアンのデザインで、フレームにアレンジしたり、
ネクタイにデザインして活かしました。
ペルシャの深いコバルト釉は、カスピ海のような澄んだブルー。9世紀から12世紀の間に陶芸家が大量に作りました。釜から出てくる一品一品のブルーの色彩が微妙に違うのです。
まだ釉が使われていなかった紀元前には黒陶の壺が、現在イラン内のアゼルバイジャン地域とアルデビル地域で作られ、多く発掘されている。精製された土器に煤をつけて動物の毛皮等で研磨した陶器。外部の湿気から中身を守るためと思われます。中国でも黄河下流域でろくろを使った磨研土器を作っていました。
ペルシャと中国は、紀元前から技術が通じ、9世紀には交流が頂点に至りました。古代シルクロードの伝達力の速さを表すものとして、二彩の釉、三彩の釉を互いに取り入れ、唐三彩・奈良三彩・ペルシャ三彩はほぼ同時期に作られていきます。
4種類もの手作り、ヘルシーデザートのおもてなしもありました。丁子が香るチョコレートケーキ、シナモンのキャロットケーキ、カルダモンのナツメヤシケーキ、薔薇の米粉クッキーのアフターヌーンティーでした。
業務用キッチンでペルシャの過程料理を指導するプーリー・アナビアン
米粉で作ったミルクとアーモンド入りプディング
ブルーベリー、ラズベリー、アーモンド、ミントで綺麗に飾ってもらいました。さすがシェフやわぁぁぁ!
ディナーが始まると、デザートからとっていった人もいっぱいいました。
イベントを企画して、盛り上げてくださった平田雅男様(西洋美術の講演者として人気)と奥様の真弓様にスペシャルサンクス!
2018.5/21(月)- 6/2(土)於 大阪市西天満の山木美術
ペルシャ王室の美術顧問だったラヒム・アナビアン氏が生涯をかけて収集したペルシャ古美術品を展示しました。
額入り絨毯
紀元前からの動物型陶器、9世紀の二彩釉皿、12世紀の青銅器など、全てはお酒を飲む容器
銀化した4世紀のシリアのガラス
ペルシャ文化財に触れるアフターヌーンイベント
神戸北野美術館でペルシャ文化財に触れる
音楽、伝統菓子、講演
2018年10月13日~14日でもまた美術品を展示しました。
優雅な外国人が異人館に住んでいた1970年代の神戸北野町。クッキーとミルクが出るおやつの時間に合わせて同級生のアメリカ人の家に遊びに行きました。小学校3年生の同級生の部屋は、広さも天井の高さも私のリビングルームの2倍あり、壁も家具も白に統一され、お城のようでした。そんな異人館がたくさんある北野町の迷路のような筋を散策すると、そんなお城が放置されているものもあれば、カフェやレストランに改装されているものあります。日本家屋と異人館が混合し、好奇心が掻き立てられる街です。私の同級生はアメリカに戻り、その家は伝統的建造物に指定されている神戸北野美術館として公開されています。
私が神戸カナディアンアカデミーに通っていた1970年代、私の祖父はイランでパーレビ国王の美術顧問を務め、ペルシャ古美術を収集していました。1979年のイラン・イスラム革命が起き、それまで収集した文化財を一年かけてニューヨークと関西に避難させてから家族全員がイランを去りました。この秋、ペルシャ秘宝をミュージアムに改装された私の同級生の白い部屋に展示されることになりました。
と、毎日新聞に掲載されたエッセイです。
17世紀の錦は、完全な形で残っているものがあれば
虫食いで端切れになってしまった布も多く
それらをプーリー・アナビアンのデザインで、フレームにアレンジしたり、
ネクタイにデザインして活かしました。
ベールの女性を囲むペルシャ錦
催しには、プーリー・アナビアンのサントゥール演奏
とダリアの講演
ペルシャの深いコバルト釉は、カスピ海のような澄んだブルー。9世紀から12世紀の間に陶芸家が大量に作りました。釜から出てくる一品一品のブルーの色彩が微妙に違うのです。
11世紀セルジューク時代のトルコ軍がペルシャを攻めて、カスピ海ブルーの釉を持ち帰り、トルコブルーとして知られるようになった。
土の中で千年以上も銀化すると、虹色に輝くブルーになる。
まだ釉が使われていなかった紀元前には黒陶の壺が、現在イラン内のアゼルバイジャン地域とアルデビル地域で作られ、多く発掘されている。精製された土器に煤をつけて動物の毛皮等で研磨した陶器。外部の湿気から中身を守るためと思われます。中国でも黄河下流域でろくろを使った磨研土器を作っていました。
今回の目玉、約3000年前の鹿の形をした土器で、テヘラン考古学博物館にも兄弟がいます。
演奏、講演、展示会、さらには・・・
4種類もの手作り、ヘルシーデザートのおもてなしもありました。丁子が香るチョコレートケーキ、シナモンのキャロットケーキ、カルダモンのナツメヤシケーキ、薔薇の米粉クッキーのアフターヌーンティーでした。
柘榴姫のディナーショー
~ペルシャ伝統料理と音楽~ 於 ホテルサンルートソプラ神戸
11月4日
業務用キッチンでペルシャの過程料理を指導するプーリー・アナビアン
大鍋でペルシャ式のご飯を仕掛けているところです。
10品ほどのペルシャ料理を作りました。調理場は戦争地帯でした。コックさんと喧嘩もしながらの労働でした。
南瓜・人参・バナナ入りの秋のケーキを切っているところ。
ケーキを真ん中から半分に切り、8等分にすると16になり、それをまた円形に戻します。
ホテルサンルートソプラ神戸のシェフ
米粉で作ったミルクとアーモンド入りプディング
ブルーベリー、ラズベリー、アーモンド、ミントで綺麗に飾ってもらいました。さすがシェフやわぁぁぁ!
イベントを企画して、盛り上げてくださった平田雅男様(西洋美術の講演者として人気)と奥様の真弓様にスペシャルサンクス!