2021年11月16日火曜日

観て、触って、聴いて、食べて感じるペルシャ

 観て、触って、聴いて、食べて感じる
惑のペルシャ5000年の美と伝統
展示と講演

神戸 北野坂 オフィスDOにて 2021年10月23日 



アナビアン・コレクションとは、イランの首都テヘランにおいて100年以上続いた老舗でラヒム・アナビアンの熱心な研究心と確かな審美眼でイラン中から蒐集された数千点の文化遺産です。アナビアン家がペルシャ美術工芸品コレクションの保存に果たした役割は大変重要で、その蒐集品は紀元前5千年ごろからの美と伝統の歴史を示すペルシャ全土から出土した土器、青釉器、陶器金銀器、ガラス、タイル、珠玉の首飾り、石彫、そして、日本の現代陶芸との繋がりも示すものもあります。 このように世界的に高い評価を受けているアナビアン・コレクションを日本の皆様に紹介し、歴史的な交流を続けることを願っています。現在は二代目プーリー・アナビアンと三代目のダリア・アナビアンの二人が日本で、ラヒム・アナビアンの知識とコレクションを継承しています。


紀元前のイラン人は、動物の形をした素焼きの容器でビールを飲んでいました。台のついていないのもあり、これで一気飲みをしてた空っぽにしないとテーブルの上に置けなかったのです。

古来のペルシャ陶器は日本の土器にもにています。


様々な時代のペルシャ陶器を手で持つと、まずは「軽い!」とみんなが驚きました。
長年土の中で水が蒸発し、軽くなっていくからです。
貴族や庶民が使っていた陶器を実際に触り、ペルシャ音楽を背景に流しました。
悠久の時間の流れを感じました。


ペルシャの文様は、シルクロードを通じ正倉院文様となり、着物や婚礼布団、風呂敷、パチンコ台などに使われるようになりました。


酸化コバルトで作られたペルシャ青釉は、12世紀に全盛期を迎え、セルジューク時代のトルコブルーとして輸出されました。青釉にも様々な色相があり、コバルト色、瑠璃色、雲ひとつ無い空の色など微妙に異なる癒しのペルシャブルーを鑑賞します。


ペルシャ陶器をガラス越しで見るより、やっぱり手にとると楽しさ100倍


その薄さや手触りで当時の生活が浮かび上がってくるこの楽しさは、博物館では味わえません。やっぱりワークショップの時代です。


殆どの古陶器は破片で出土されており、どのように繋ぎ合わせているかも見抜けるようになります。


さらには本物の陶器と贋作との見分け方は、持って重かったり、デザインがグロテスクだったりすると新しい陶器です。      


ダリアが描いたアケメネス朝ペルシャ大帝国(紀元前5世紀)の地図。和平や婚姻の儀式に使用された陶器でお酒を飲み、気分が高揚することで鬼も逃げてしまいます。



手に持っているガラスは、涙壺と言い、夫を洗浄に送り出した日から止まらない涙を集めるためのガラスの壺です。それは嬉し涙ですかと聞いてきた人もいました。みんなで大笑い。


歴史と文化をエンターテインメントとして楽しむ会でした。

ペルシャ陶器の遊園地になり、賑やかなワークショップを次々と行いました。


13世紀にシルクロード全域を蒙古が拡大すると、イランにも侵入し、陶器に描く人物の顔もモンゴル化し、丸い月顔に代わっていきました。


ペルシャ語で「ミーナーイ」(ペルシャ語でエナメル)という金色の釉が作られました。この技術はやがて、歴史の翻弄のなかで消えてしまいましたが、20世紀に加藤卓夫先生がこの釉を復活され、日本で人間国宝となりました。(上写真)本に写っていいるミーナーイ陶器は、加藤卓夫先生やアナビアン家などのコレクションを蒐集されたものです。


ブルーのミーナーイも作られました。幻の青釉に人物の浮彫文様の技術は、ペルシャ陶器最先端時代の作品。12世紀と13世紀でピークを迎えました。


酸化コバルトに不純物の鉛が入ると瑠璃色から黄色かかった鮮やかなトルコ石のブルーに釉色が変化します。


白地に青い模様を作り、後のブルー・アンド・ホワイトの原点になります。


ペルシャの酸化コバルトの釉を取り入れた中国磁器は、白地に青の染付に発展すると世界中の憧れの陶器になりチャイナと呼ばれるようになります。それをペルシャが逆に真似るのです。やがて日本では伊万里焼の特徴にもなります。それが輸出物産になり、ヨーロッパでは流行ります。


 観て、触って、聴いて、食べて、撮って
懇親会は、デザートをペルシャ陶器でテーブルセッティングをしました。