2016年8月6日土曜日

2016 上六でアナビアンギャラリーのフィナーレ

2016 7月10日(日)から9月10日(土)


いつも、私たちのアナビアン・ギャラリーをごひいきにしていただき、ありがとうございます。わたくしたちは、このギャラリーを、2016年7月31日をもって、閉店することにしました。長年のご愛顧に、心から感謝申し上げます。
みなさんは、きっと、「なんで、やめるのよ」と、思われるでしょう。
理由は、次の通りです。ラヒム・アナビアン(プーリー・アナビアンにとっての父、ダリア・アナビアンの祖父)は、1974年、大阪に、アナビアンギャラリーを開店しました。ラヒム・アナビアンは、当時のイラン皇帝パーレビーの美術顧問を務めていました。ラヒム・アナビアンは、世界第一級のペルシャ陶磁器・ペルシャ錦・ペルシャ絨毯を、収集しました。それを、日本人の皆様に提供しました。皆様に、たくさんお買い上げいただきました。皆様のご愛顧に感謝申し上げます。そして、わたくしどもは、これらのペルシャ文化財を、東京のオリエント博物館、出光美術館、岡山のオリエント美術館、米子のアジア博物館に納品してきました。多くの日本人が、それを鑑賞してくれました。わたくしたちの国イランの文化を、日本に紹介できて幸運でした。また、近鉄デパートでは、大きなイベントも開催しました。その時には、三笠宮殿下にも、おいでいただきました。このような、楽しい思い出が有るうちに、「閉店」するのが、わたくしたちにとってのベスト、と、判断したのです。今後、プーリー・アナビアンは、音楽活動に専念します。ダリア・アナビアンは、ペルシャ文化伝道士とし、壮大な歴史から現代のイランまで語る講演・著作・料理教室の開催などに専念します。どうぞ、ごひいきにしてください。閉店にあたって、特別セールをいたしました。




ペ ルシャと大阪の上町台地は、シルクロードを通じて古代より結ばれていた。飛鳥時代にペルシャの御物が船で難波津に到着し、上町台地を通り、ここから奈良の都に運ばれていった。古代から結ばれた赤い糸に手繰り寄せられているように、アナビアンファミリーは1974年、上本町6丁目の近鉄百貨店で大阪初のペルシャ古美術ギャラリーを開きました。先 祖と同じように現代にもペルシャの宝物をお届けしています。



難波の宮から上六は、古代の街道である「大道」が通っていたところで、ペルシャ美術ギャラリーが開かれたことに深い縁を感じます、


いろいろな友人が来てくださって、記念にアナビアンがラリーの絨毯や民芸品を買ってくださいました。



取材にも色々と来てくださいました。


シルクロードの終着駅、奈良薬師寺とも親密に交流し、長老の令夫人、安田順恵さんも来てくださいました。写真は、アナビアンギャラリーの近くの自宅にもお越しくださいました。


薬師寺のファーストレディー安田順恵さんは玄奘三蔵の研究家。シルクロードの西域、サマルカンドまで一緒に旅したことがあります。シルクロードほどロマンに満ちた歴史の道はありません。


大阪の下町、上六もその壮大なルート上にあり、シルクロードの面影がなくなっても、コテコテでお節介好きな、庶民的な街は、今でも外国人がいちばん住みやすい街です。この部屋は、20年住み慣れた上六のマンションで、和室で座布団生活をしました。快適やったわー!昭和のマンションは、押し入れがいっぱいあり、収容力があって自由に使え、便利で楽しい住処やった。日本でこんなマンションがなくなってきて残念やわ。



上六にペルシャの先祖が通っていたことを思うと、不思議な感じがします。


春のファッションイベント  
3月3日
近鉄百貨店上本町店 
リフォーム坊
門出 
家族の歩み 
晴れの舞台
上六でファッションーをしました。18世紀のペルシャ錦の端切れと和服の生地で新しい服をデザインし、リホームしました。




このように上六に40年経営したギャラリーをたたみ、20年住んだ住処とも別れ、神戸北野町の異人館通りに引っ越しをしました。神戸の街はみんなのあこがれやけど、上六は、人情があり、ユーモアー溢れる人々が多く、便利で、その活気がやっぱり好きやった。