2007年7月28日土曜日

大阪歴史博物館:ペルシャ、7000年の光芒

平成19年7月28日
「ペルシャ文明展・煌く7000年の至宝」開催記念
『サントゥールの調べ ~ペルシャの至宝が語る生活と文化~』
会場:大阪歴史博物館
主催:朝日新聞社

出演:    演奏 プーリー・アナビアン、河村真衣
            声楽 バーラム・サーランギ
            スライドレクチャー ダリア アナビアン


Santurexplanation

上左中: 1st サントゥール プーリー・アナビアン
上右側: 2 nd サントゥール 河村真衣
下左側: 声楽家 バーラム・サーランギ

Bahramgloryofpersia

イランの有名な国営放送専属音声楽家・書道家、
バーラム・サーランギ氏をイラン日本文化交流の
活動のために招いたのは三十回目。

悪評高いイランから芸術家を日本に呼んで、文化活動を続けることが難しい時代になってきました。イラン国籍のビザを申請するたびに、何ページもの書類、招聘 と保証人が必要とされなど、手続きが益々厳しくなっていくなか、文化を発信する大切さを一段と痛感します。日本とイランの文化交流にコツコツと努めても、 その歩みは遅々として進まず、時々活動を放棄してしまいたい気持にさえなります。大手メディアやハリウッドが描くイランの虚像とイラン国民の日々の現実の 差が酷く、唖然とします。その惑わせるイメージは国を破壊します。
ペルシャは、7000年の文明を誇り、そのころから先住民はペルシャ絨毯 の上にワインを楽しみながら交易の輪を広げていました。何千年かけて、都市国家を形成し、2500年前に世界で最初の大帝国を築き上げました。千以上のオアシス都市を結ぶ異民族他宗教共存国家ができ、現代社会が望むグローバル社会の未来は、古代ペルシャに既に完成されていました。そんな見事な大文明が砂漠 に花を開かせました。その遺跡、ペルセポリスは、私たちに未来を期待させてくれます。つづけていれば花は必ず咲く――そんな風に語りかけてくるのです。

Winejarblog
こちらは私が描いた世界最古の葡萄酒の壺

世界で最も古いワイン保存用陶器。ペンシルベニア大学の考古学・文化人類学資料館で現在保存されています。イラン南部、ザクロス山脈のハジ・フィルーズ丘、新旧石器時代の村にある日干し煉瓦の建物の台所付近に素焼きの釜が発見され、それに8500年前のワインが付着していました。

ワイン発祥地である更なる痕跡が発見されています。しかし、1979のイランイスラム革命で2500年間の王国が倒され、お酒が初めて禁じられました。ワインを飲んだらいけないのに、どんどん遺跡から酒樽が出てくるんです。困ったものですね。最近では、ワイン名で有名な都市シラーズ南部のタンゲ・ボランディー発掘現場で、ポーランドの考古学者が調査していると、ワイン製造工場が発見されました。古代の人たちは、葡萄を押し潰し、大量のグレープジュース を、人口水路に流し、巨大なプールに溜め、それを素焼きの発酵用の器に移し変えていました。現在シラーズワインは、日本のコンビにでも売られています。
発見された器を科学分析すると陶器にカルシューム酒石 (ぶどう酒醸造の器の底に沈殿する物質)が付着していました。カルシューム酒石は、常温では葡萄しか醗酵しません。イラン特有の気候からグレープジュース を部屋に置きっぱなしにするだけで、勝手にワインになるのです。中東の高温と古い葡萄製造方式のために、グレープジュースが器に移される前から醗酵が始 まってしまい、醗酵のスピードを抑えるために器を粘土の蓋で封印します。そうしなければ、ワインが酢になってしまいます。

Grapeparadise

イランでは70種類の葡萄があります。イランは、イスラム革命で8000年間、飲み続けてきたワインにピリオッドが打たれました。お酒を飲んだり、作ったり するとムチ80本の罰金が科せられます。そのために、みんな自分の葡萄酒を家で作るようになりました。お酒を禁じたらみんなの家が酒蔵になった、という言 われがあるくらいです。葡萄の買い物に行くと「あれを作るなら、もっと買わないと足りないよ」と仄めかされます。8000年の伝統は、それぞれの家で保存 され、おいしい密造酒が作り続けられています。古代と変わらぬ方法で、ときどき失敗し、ワインが酢になってしまうこともあります。それはそれでサラダド レッシングにもってこいです

赤土で出来た大きな商業用のワイン樽。
7000年前、ここにワインが保存されていました。

Rhyton
私が描いた、パルティア時代の杯

ご覧の通り、形を想像していただきたいんだけど、ヨーロッパのバイキングは角にお酒を入れて飲んできましたが、ペルシャ人は、金や銀で角の形を作っていす。 これでお酒を飲むと、コップを立てて置けないのでぜんぶ飲み干さないといけません。日本の居酒屋の一気飲みなんてとっくに2000年前からやっていまし た。パルティア時代も、いつの時代のイラン人も、物凄い酒飲みでした。

Persianwine

大阪歴史博物館、ペルシャ文明展でのスライド上映風景
2000年前のパルティア時代の幕が閉じると、次はササン朝ペルシャの幕が開き、多くの詩人がペルシャ文学で女性と杯を詠いました。
当時の詩は、今でもペルシャ語の日常会話に常に引用されています。
友達に「飲みに行こう」と誘うときのキザな言い方。
「エデンの園に行きたい者は、一緒に酒屋に行こう時がくれば 酒壺から天の泉へ登れるから」

Khayyameyebrowandwine

日本語で水に流そうという言葉があるように、ペルシャ語では、酒に流そうという表現があります。
「ルビー色のお酒もバラの水も杯に流し、香の微風も、巨大な酒樽に注ぎ入れてしまおう」

Ruriwanblog
アナビアン・コレクション
(現在うちの上六の倉庫で埃を被っている)

ササン朝ペルシャで大ヒットしたワイングラス。ブリリアンカットしたダイヤのような美しいワイングラスでした。この白瑠璃碗はアナビアン・コレクションのひ とつで、1300年前のシルクロード最先端の商品です。何百年も土に埋もれていたために石化してしまいましたが、東大時の正倉院に展示されている白瑠璃碗 は、ペルシャから伝えられた当時の完璧な状態で保存されています。

大阪歴史博物館のペルシャ文明展で開催された演奏会に来日した声楽家、バーラム・サーランギさんからペルシャ音楽にまつわる民話が紹介されました。

日 本の飛鳥時代に当たるササン朝ペルシャに、馬が大好きなホスローという王様がいました。一頭の馬を寝ても覚めても頭から離れないくらい愛していました。愛 するあまり、この世からこの馬が消えたら、生きていられないぐらいで、もし、この馬の死を知らせるものがあれば、即座に首を刎ねると部下に言っていたくら いでした。
しかし、生ある馬は、いつかは天国に召されます。そして、ついにそのときが来ました。さー、どうして王にこの死を伝えるか、側近達みな 頭を寄せ集め相談しましたが良い考えが浮かびません。そこに、とても賢い大臣がいて、妙計が閃きました。大臣は、宮廷音楽士でハープの祖型と言われる楽 器、チャングを弾く人に相談し、王にこの悲しい知らせを伝えてください、と頼みました。チャング奏者は、王の前で奏でました。終わると、王は、そのメロ ディーで全てを悟り「馬が亡くなったんだね」とつぶやきました。王の口から悲しいことが伝えられたことで、誰も殺されずに済んだのでした。これは、ペル シャに代々伝承されてきた実話です。


    (`'·.¸(`'·.¸ ¸.·'´)¸.·'´) «´¨`·.¸¸.*'·.·.¸ ¸.·'´)¸.·'´)
*.¸¸.·´¨`*ANAVIAN OFFICIAL WEBSITE*.¸¸.·´¨`*
            (¸.·'´(¸.·'´ `'·.¸)`'·.¸)´(¸.·'´·.¸)´ ·.¸)´
神戸広田神社:書と音楽・シルクロードの協奏

平成19年7月21日(土)22日 10:00~14:00
書と音楽 ~日本文化とシルクロードの世界~
会場:広田神社
主催:朱鳳の会  

Baharam2

広田神社で「ペルシャ民話ベスト1」を演奏。
左側:声楽家 バーラム・サーランギ
真中:1st サントゥール プーリー・アナビアン
右側:2 nd サントゥール 河村真衣

Persiancalligraphy

西宮の広田神社の演奏会でイランの歌・詩・書の芸術を通して古代から伝わるペルシャの美と響を披露しました。

Calligraphypersian3

今回のイベントを全面的にサポートしてくださった近藤朱鳳先生が日本の書道を書き、その横でバーラム・サーランギさんが葦ペンでペルシャ書道を実演しました。

Kiramekublog

近藤朱鳳先生が書かれた「きらめき」

Jazzab
バーラム・サーランギさんのペルシャ語の「きらめき」

Hopeblog

近藤朱鳳先生の作品

Bahramcalligraphyblog

バーラム・サーランギさんのペルシャ語で「希望」

日本では、万葉集は、貴族の世界で珍重されてきた詩ですが、ペルシャの詩は庶民の間で、日常会話で引用され、それはまるで日本でよく使われる諺のように普遍的です。

イランでは、書道をもっとも高い芸術として評価され、書体も様々。日本に草書、楷書、隷書があるようにペルシャ書道にも幾つかの書体があります。イスラム寺 院の壁に描かれている唐草模様に絡み合った複雑な書体からシンプルな字まで。日本と共通していることですが、複雑に見える文様のような字よりも単純な文字 の方が難しいです。「一」という字が誤魔化しが利かないためにシンプルな文字ほど難しい。1本の線にその人の感性が表れます。
ペルシャ書道は、詩と密接な関係を保ち、詩によって字の表現も変わってきます。音楽のようにリズムがあるペルシャの詩は、強調するところを書き重ねたり、それぞれ千変万化な表現法があります。

Persiancalligraphy2

キャスト(左下から)講演:ダリア・アナビアン、天慶の書:近藤朱鳳、 ペルシャの書&ボーカル:バーラム・サーランギ、サントゥール演奏:河村真衣、サントゥール演奏:プーリー・アナビアン 

Silkroadteam_2

このイベントで書と音楽を通して日本とイランの文化交流を全面的に支援してくださった近藤朱鳳先生に大きな感謝を送ります。

(`'·.¸(`'·.¸ ¸.·'´)¸.·'´) «´¨`·.¸¸.*'·.·.¸ ¸.·'´)¸.·'´)
  *.¸¸.·´¨`*ANAVIAN OFFICIAL WEBSITE*.¸¸.·´¨`*
            (¸.·'´(¸.·'´ `'·.¸)`'·.¸)´(¸.·'´·.¸)´ ·.¸)´