2000年12月1日金曜日

ブログの序説



関西のペルシャ母娘
なんで関西でペルシャやねん?


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日本におけるペルシャ親子三代記


ペ ルシャと日本はすでに奈良時代より関わりがありました。奈良正倉院の御物のなかにペルシャと日本の交流の歴史が垣間見られます。シルクロードを渡り、ペル シャから伝えられた世界の貴重な文化財のなかで正倉院の如く倉の中で伝世品として保存された所はありません。螺鈿で装飾した楽器や唐草文様の錦など、人々 のロマンを掻き立てます。ファッション、音楽、踊り、食事など華やかなペルシャの文化がトレンドになり、飛鳥の貴族たちは争って、生活に取り入れられまし た。


しかし、それから1000年の間、日本とペルシャの交流が途絶えてしまいました・・・。


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1960 年 イラン国王美術顧問、ラヒム・アナビアンは日本の考古学者と親交を深め、日本とペルシャの生きた交流を復活させました。 この新しい架け橋によって、 日本中の博物館にペルシャ文化遺産のコレクションが納められました。最も重要なペルシャ錦コレクションは、米子のアジア博物館で展示されています。


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1972年、二代目プーリー・アナビアンはペルシャの伝統楽器サントゥールを携えて神戸にきました。大阪音楽大学講師としてサントゥールを教え始めて25年になります。日本全国の演奏活動を通して、ペルシャの心を響かせています。


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三 代目ダリア・アナビアンは、当時4歳だったので驢馬の縫いぐるみしか持ってこられませんでした。今や、関西の警察・裁判所・入管でペルシャ語通訳。また、 歴史的なペルシャ文化遺産を紹介しながら、母娘で日本各地のレクチャー・コンサートでペルシャ文化について語っています。勿論、こてこての関西弁で、知ら れざる中東の扉を開きます。


PROFILES


RAHIM ANAVIAN

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革命前、黄金時代のテヘランで優雅に水タバコを吸うラヒム・アナビアン

ラ ヒム・アナビアンは、1904年イランの首都テヘランで生まれた。17歳から古美術の収集を初め、 やがてテへラン古美術界の第一人者となる。日本の考古学者にとってペルシャ文化への扉になった。 作家・井上靖、日本画家・平山郁夫、シルクロード学研究センター所長・樋口隆康、陶芸家・人間国宝・加藤卓男、 東京国立博物館考古室長・杉山二郎氏等がしばしばテヘランのラヒムの自宅を訪れ、文化交流の基盤を築いた。 1970代に入り、50年に亘るペルシャ錦のコレクションは数千点に達し、世界で初めてペルシャ錦を紹介した、英語、 ペルシャ語、日本語による「ペルシャ錦」Royal Persian & Kashmir Brocades を出版し、それまで知られていなかった ペルシャ錦の重要性を広めた。その量、質、種類の多さに対して、イランの文化省や専門家からも大きな反響があった。 1975年日本で盛大に行われた出版記念パーティーには三笠宮殿下も出席された。 ラヒム・アナビアンは、日本にペルシャ文化を紹介した先駆者であり、そのコレクションの一部は東京・国立博物館、 出光美術館、中近東文化センター、大阪の民族学博物館、岡山・オリエント美術館、天理博物館等で目にすることができる。1979年イラン・イスラム革命直 前、ペルシャ錦のコレクションを守るためにニューヨークへ避難させた。 80歳を目前にしたラヒムは、新しい世界、マンハッタンで古美術商を一から始めた。そして彼の一生の夢は、 ついに日本で実現されることになった。ペルシャ錦コレクションのうち、2000点を米子のアジア博物館に納めた。
毎日自分の古美術店、RAHIM ANAVIAN and SONSに足を運びつづけたラヒムは、2001年の夏、97歳で旅立ったが、多くの宝物がまだニューヨークの倉で彼の夢に包まれている。


POURI ANAVIAN


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18世紀のペルシャ錦のベストを纏ったプーリー・アナビアン

テ ヘラン生まれ。5歳からサントゥール奏者として、放送やコンサートに出演。イラン国立テヘラン大学音楽学部ピアノ科卒業。1972年来日。1978年には 日本初、ペルシャ語会話辞典「みんなのペルシャ語」を出版。1983年に放送されたNHKドラマ「壬生の恋歌」の主題歌をはじめ、みんなのうたの「イラン の子守歌」やFM番組に放送出演。NHK文化センターの公開講座「シルクロードの音楽」のレクチャーコンサートなど、各地で800回以上演奏を行う。 1993年には鳥取「アジア博物館・井上靖記念館」の設立で「アナビアン館」を企画し、大きく貢献した。1995年に浜松「楽器博物館」シルクロード楽器 コレクションのプロデューサーとして活躍。
2002年の春に放映されたNHK「ハローニッポン」では、音楽を通してだけでなく、日本-イラ ン間の幅広い文化交流を担う第一人者として紹介された。毎年イランから芸術家を招聘し、ペルシャ書道と日本書道の合同展示会の開催や、イランのアゼルバイ ジャン地方の民族舞踊や、ペルシャの伝統的な楽器を紹介するイラン国立放送管弦楽団を始め、様々なイランの文化団体を日本に招き紹介した。日本からは大阪 音楽大学のサントゥール教室の生徒6人を派遣し、イラン国立文化ホールで日本人として始めてサントゥールの演奏を披露した。浴衣姿での演奏はテヘランの新 聞で大きく報道された。
大阪音楽大学講師、大阪青少年センター講師として30年。


DALIA ANAVIAN


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ペルシャンブルーでちょっと気取ったダリア・アナビアン

古美術商の両親と来日する。神戸の国際学校カナディアン・アカデミー、ニューヨークのファッション専門学校フレンチ・アカデミーを卒業。1988年に帰国後、NHKテレビ番組「シルクロードロマンの旅」のレポーター、ABCラジオ「旅のハーモニー」のレポーターなどを務める。
1997年以降は、主に警察署、検察庁、裁判所、入国管理局にてペルシャ語通訳、またクルドやアフガン難民の支援活動を行う。

江上波夫、井上靖らとも親交のあった祖父ラヒム・アナビアンがイラン・イスラム革命までに収集したペルシャの歴史遺産などを日本各地で展覧会を開き、また講演活動や料理教室を通して多方面でペルシャ文化を流暢な関西弁で紹介する。イランの現状について、アメリカやイスラエルでも講演活動を行う。

その他、2003年「NHKウィークリー・ステラ」にエッセイ連載。2007年、ホテル日航茨木・大阪にて共同開発のペルシャの伝統菓子「ダリア・オリジナル・デザート」を販売。

英語、ペルシャ語、ヘブライ語、日本語(それも関西弁)の4ヶ国語を駆使する。
2013年「千夜一夜のおもてなし~ダリアのペルシャ料理①」(発行:アートダイジェスト)を出版。



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