2008年12月7日日曜日

現代シルクロードの交流

関西とペルシャ、現代シルクロードの交流

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2008年11月22日 Osaka International Cultural Association で、2時間ほど英語で「イスラエルの還暦」についてレクチャー。普段は、ペルシャのレクチャーが多いけれど、今回は父の国、イスラエルの建国60年について、あれこれ話しました。こういう会はめったにない。みんな英語が堪能で、いろんな質問が飛び交い、さすが大阪人、英語で突っ込みも漫才チック!21面相のイスラエルは話が尽きない。けど、翌日のペルシャ・ディナーショーのために、50人分の料理とスイーツの用意が待っている・・・

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2008年11月23日 「目と耳と口で味わうペルシャ」でいつものティーム(プーリー・アナビアン、イランから来日したバーラム・サーランギ氏と河村真衣さん)のペルシャ演奏会とダリアのスライドショー で千夜一夜物語で登場するペルシャ食文化を紹介。京都の友人が新しく建てた会場で初イベント。(上)ペルシャのういろうとケーキを切り分けているプーリー・アナビアン。

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2008年11月24日「秋風に和するトルコとペルシャ」という題名で今度は、トルコの友人がやっていレストランSakaliev Turkish Cafe Restaurant でいつものメンバーで、ディナーショー。プーリー・アナビアンと河村真衣さんのサントゥール演奏、バーラム・サーランギさんのペルシャとトルコの歌、トルコ料理とペルシャのデザートでほんまにトルコとペルシャが和する会。トルコとペルシャには文化の境界線はない、東北と九州の違いくらいでしょう。

2008年10月 27 日
公演   プーリー・アナビアン(大阪音楽大学ペルシャ伝統楽器の講師)  サントゥール演奏
    ダリア・アナビアン(ペルシャ文化伝道士) 挨拶
会場  リーガロイヤル ホテル
主催  大阪同志社クラブ

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大阪同志社クラブ創立19年記念、おめでとうございます。

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お祝いのサントゥール演奏

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とダリアの挨拶、関西とペルシャの架け橋のお話

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サントゥールの音を出す撥をみなさんに紹介。先にフェルトが付いて、1.5グラムしかない。ピアノのボックスのなかで音を出している撥の原型。

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大阪同志社クラブ19年記念会でその他、きら星のようなゲストスピーカーが並んでいました。大阪市長、平松氏もそのお一人、「銭はないけどやる気はある」と、これから大阪は活性化しまっせーと自信を植え付けました。


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ペルシャ母娘の間にサンドイッチされている紳士、弁護士の永井氏。
先生に招待されて、参加しました。

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私らも現代のシルクロードの交流をがんばりまっせー。ペルシャと関西の絆を強めるために、お仕事の大小にかかわらず、どんな出前でも気軽に行きます。関西は、国際交流の生きた舞台やと思う。大阪人は、物おじしない、思ったことはすぐ口から出る気質なので、わざわざ漫才を見なくても、駐車場のおっちゃんが笑わしてくれる、そんなところが外国人にとって、日本でいちばん馴染みやすい都市。


2008年10月25日

奈良公園シルクロード交流館「偉大なるシルクロード芸術特別展」関連イベントに招かれて

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偉大なるシルクロード芸術特別展の前で、プーリー・アナビアンが「栄えあれ、ブハラ」という曲をサントゥールで奏でた。ブハラは、たくさんのペルシャの詩人が生まれたシルクロードの古都。青空の下の演奏は、秋風に乗って遥か奈良公園の観客まで届いた。シルクロード晴れの清々しい日だった。

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シルクロードの黄金時代に生きたブハラ出身の詩人が吟じた。「いつまでも豊かに息づく都ブハラよ」詩歌は、シルクロードの民に代々読み継がれ、心に深く刻み込まれてきた。詩歌は、織物の刺繍の模様に表れ、サントゥールの調べに昇華している。ペルシャの音楽は詩歌でリズムを取るので音楽と文学は切っても切れない仲。詩歌がベースになっている。

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日本の絣織の原点、シルクロードの織物「イカット」は、緯糸に錦を用い、経糸に括って染めた絹を用いた衣装。鮮やかな色彩で織り込まれた星や月、太陽や雲、植物やザクロのデザインを見ると、そのバランス感覚は音楽的なハーモニーを醸し出している。

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シルクロードはお洒落の原点。ブハラは、ちょっと前のペルシャ、今のウズベキスタンにある。昔はシルクロードの黄金時代に栄えた古都。ファッションの先端、今のパリやロンドンみたいなところだった。さまざまな染色の文化だけではなく、芸術、科学、数学、天文学、地理学、医学がここで花開き、のちヨーロッパが取り入れ、中世の暗黒時代からルネッサンス運動へと発展していった。

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ペルシャ語で、詩歌は日常会話にも引用する。市場に買い物にいくとき、さらっと「私は貴方の僕、家来、貴方のために命を捧げます、この胡瓜なんぼ?」っていう風に値切り始める。売る方は、「貴方に比べれば全く値打ちのないものです」と売り言葉に買い言葉を交わす。 「このお札もまったく値打ちがありませんが、どうかお受け取りください」と意識もせずに口から次々と言葉が紡ぎ出る。

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私がまとっている古来のペルシャ民族衣装と会場に展示されていたウズベキスタンの衣装がそっくり。200年前までは一つの国だった。

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正倉院は今年、還暦を迎えました。

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白瑠璃碗の一段と大きなポスターが梅田や難波の百貨店街で壁いっぱい貼られ、そこには巨大な白瑠璃碗が浮き出ていた。私は今年、初めて実物を見て感動した。黄金のダイヤのような輝き、1300年前のものとはいえ、透明感が保たれている世界で一品のペルシャのワイングラス、正倉院のどの御物より遠くから旅をしてきた。これが永遠の時を刻むために、世界が平和であれ、今のイラン(ペルシャ)人は戦争や革命の渦のなか、日本に残されているこの宝物にも気づいていない。

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ポスターに粋な言葉が書かれていた。「日本の史上、いちばん国際的だったのは奈良時代かもしれない」
ほんまにそう思う。奈良時代の貴族は床に絨毯を敷き、椅子に座り、テーブルにワインやチーズを並べて食事していた。奈良時代の貴族は当時いちばんハイカラだったペルシャの文化と風習を取り入れていた。

2008年9月21日
「ダリアお姉さんのお箸の正しい使い方教室」
長野県たつのパークホテルのお楽しみイベント

 
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2008年のペルシャ文化のイベントをいろいろと補佐していただいたダリア専属マネージャー森脇隆氏とにこやかな笑顔。これから、吉本の若手漫才師と組んでお箸文化の伝道教室を開く。



日本人が外国人にお箸の使い方を習らわなあかんことが地元の新聞にも載った。

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教育熱心で知られている長野県にて、いつものペルシャ文化の伝道ではなく今回は方向転換して、日本文化の伝道。たつのパークホテルで、正式に「ダリアお姉さんのお箸の正しい使い方教室」を2回行った。そうです。私が正式なお箸の先生になり、前にあるのは机とお箸とおまめさん。ここで私は模範演技をしなければなりません。

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いつの間に外人が日本文化を日本人に伝える時代になったのでしょう。欧米では、上手に箸を使って日本食を食べることがステータスとされているのに、日本人の箸の使い方がとても乱れて、若い世代の6割~7割がお箸を上手く持てないとは!日本でお箸が使えなくても、回りはみんな下手だから恥じることがないかもしれないけど、海外のブームの寿司バーで、外人が上手にお箸を使い、日本人が握りばしでは、あんまやから・・・

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教室では、急きょ漫才の出番を待っていたコンビ・ダンディライオンの小谷真理さんも加わり、私と一緒に掛け合いをして笑いを誘いながら身振り手振りお箸の使い方を説明した。「下の箸は固定して、上の箸だけ動かして」豆を掴む練習をした。

2008年9月18日
会場   ふらっとねやがわ 
講演  イランとイスラエル ~ 関西で二つの文明の間を生きて
主催   寝屋川国際婦人クラブ

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イランとイスラエル、水と油ほど違う二つの祖国を生きるダリアが、知られざる生活、美術、食文化、人権問題などバラエティに富んだ話題で古代から現在にまで続く千夜一夜物語を話した。1時間目はイランのお話、2時間目は、イスラエルのお話に分けて、えこひいきなく、私の二つの祖国を紹介した。異文化に対して関心を持って聞いてくださったみなさまにありがとうの言葉を捧げます。2008年12月はイスラエルに郷帰りします。また来春に新しい話題で会いましょう。

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