2011年11月2日[水]→11月14日[月]
悠久のペルシャ
7000年の美と伝統を受け継ぐ
アナビアン コレクションの開催
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正倉院展が開催される秋、シルクロードの終着地である奈良薬師寺門前でペルシャ文化財コレクションを披露いたしました。
和室の部屋でイランの国宝級の陶器や錦を無造作に並べました。
和室ゆえに古の空気を間近に感じていただけた模様です。
7000年前の巨大な素焼きの土器は真直では、めったに見られない代物です。古代の人はこのなかに麦を保存していたようです。
プーリー・アナビアンはペルシャの古典楽器の演奏家であり、一世紀つづく王家の古美術顧問の家系でもあります。
今回のディスプレーは、ショーケースを使っていないので和風目線で低く鑑賞してもらえたと思います。
コバルト色、瑠璃色、雲ひとつ無い空の色の陶器は、12世紀から13世紀に釉の技術が頂点に至りました。出土されたこれらの陶器は、土のなかで偶然に表面が銀化され、美しい輝きを放っています。
アナビアン・コレクションのなかで最も代表的なのがペルシャ錦。人の手で創り得る最も精密な織物の技術は、100年前に失われ、二度と織ることができません。
消滅する運命にあっペルシャ錦は、半世紀かけてイラン中から蒐集したもので現在あるコレクションに同じものはありません。すべてこれっきりです。
古い織物の多くは昆虫の餌食になってしまい、16~17世紀当時の毛織物は殆んど現存していないので、欠片を絵のようにデザインしました。
こちらは、よく見るとペルシャ錦の欠片が水差しの形にコラージュされています。
こちらの織物の柄に見覚えありませんか。明治~大正のかすり織りの着物に似ていませんか。
中央アジアの「イカット」という伝統織物がいつの間にか日本古来の着物の柄になりました。次回もどこかで”オープン・ミュージアム”を開催する予定です。ぜひ、古代の風に触れてみてください。
2011年11月18日奈良日日新聞による記事。オープンミュージアムの形式を高く評価していただきました。
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Pray for Japan Concert & Dinner at PARS CUISINE, Kobe
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神戸で唯一のペルシャ・レストランにてディナーショー。
Soroptimist International of OSAKAでランチショー
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国際ソロプチミスト大阪ー中央
第12回 ふれ愛ひろば
シルクロートが運ぶペルシャの調べ
東島ホテル 4F(グラマシー)
左:薬師寺の長老、右:プーリー・アナビアン
こうして、1300年前と変わらず、薬師寺とペルシャは交流をつづけています。
国際ソロプチミストから花束をいただきました。(国際ソロプチミスト:管理織に就いている女性で構成された世界的組織の奉仕団体で、女性の人権と地位を高める奉仕活動をしています。)
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(上)アナビアン・ペルシャン・歌劇団 左からイラン国立放送局専属歌手、薬師寺長老、ペルシャ伝統楽器サントゥール奏者のプーリー・アナビアン、河村真衣。
(下)奈良とペルシャの赤いリボン~
サントゥール演奏&トーク
日時 平成23年4月23日(土)
奈良県文化会館2F小ホール
主催 なら・シルクロード友の会
後援 (財)なら・シルクロード博記念国際交流財団
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「シルクロード友の会」の方々が、この春、日本が災害で大変な状況にあるなか、ペルシャの音楽を聴き、お話に耳を傾けてくださったことに深く感謝致します。
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ニューヨークの親戚を訪ねて。左から、マルカ・アナビアン(祖母)プーリー・アナビアン(母)帽子の被ったおじさん(親戚)ダリア(私)親子三代揃って、アメリカのいちばん人気のあるレストランへ向かっているところです。
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アメリカの寿司です。マグロにマンゴー、天かすとピーナッツのふりかけは、え?と思われるかもしれませんが、最高に美味しい!
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従兄、マイケル・アナビアン、現在ニューヨークの警察官として勤めています。これから9・11の同時多発テロ事件が起こったワードトレードセンターの跡地に向かっているところです。
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9・11の記念ミュージアムを建てているところです。9・11の事件が起こって以来、中東の人は、アメリカのビザ入手が困難になり、私は10年振りに祖母に会いにいくことができました。
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ビルが倒されたとき、残された十字架は、記念物として置かれています。
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テロ事件で魂を癒すミュージアムを建てているところです。
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次は、ニューヨークのイラン人コミュニティーでのコンサート風景。マイクを持っている男性は、ニューヨークのマンハッタンで毎年、ペルシャ新年のパレードを行っています。それを記念するセレモニーで、プーリー・アナビアンのペルシャ伝統楽器サントゥールの演奏が行われました。
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ここに集まっているイラン人は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教で、イランが2500年前に建国された多民族多宗教共存の精神が受け継がれています。
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サントゥールの演奏後の拍手喝采
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ニューヨークで行われるペルシャ新年のパレード(下)
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この日は、マンハッタンは珍しく歩行者天国になります。アメリカの警察官がイランのライオンと太陽の旗を振っています。2011年でこのセレモニーは、9年目です。9・11以降に始まったセレモニーです。
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イラン古代の宗教、ゾロアスター教の新年のお祈り。
よい思い、よい言葉、よい行い。しかし、2500年経ってもこの言葉は実現できていません。
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春の新年は、イランの家庭でパーティー巡りです。
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それでなくても、元々イラン人にとって人生はパティーなのに新年になると一晩に二つのパーティを巡ることがあります。
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パーティー・オン・パレードのなかでも、私の祖母は疲れることなく、踊ってみんなを楽しませました。
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母、プーリー・アナビアンの演奏のリズムにのって
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祖母は、ペルシャの踊りも、アルメニアの踊りも、上手です。
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私はひたすらパティーの食事を食べていました。ペルシャ料理研究家として。
料理ブログをクリックしてみてください。
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犬もペルシャ絨毯の上で踊っていました。
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祖母の家の前
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プーリー・アナビアンはニューヨーク、クイーンズの幼稚園でサントゥール演奏を行いました。
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普段やんちゃの子供たちもサントゥール演奏中はじーっと聴いていました。
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ニューヨークのマンハッタン
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私の伯父は、マンハッタンでペルシャ古美術のギャラリーを経営しながらニューヨーク大学で非常勤講師としてペルシャの芸術を教えています。
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よかったら立ち寄ってください。
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70年代までは、世界中で多くの考古学者による西アジアの研究が出版物にされ、ちょっとしたペルシャブームになった時期があります。でもそれは、束の間で1979年にイランの革命がおこると祖父は美術品とともにマンハッタンに引っ越し、この店を開きました。
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アンティーク絨毯のコレクションは、イランの遊牧民が生活のなかから生み出した即興デザインなので味があります。
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ニューヨークのアナビアンギャラリーでは、ペルシャ絨毯は、高級なアンティークになると2年ほどかけて補修します。
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ニューヨークのサザビーやクリスティーのオークションで、絨毯の嫁入り先が見つかることがあります。
以前は、マンハッタンと同じ店が日本でも8店舗あり、日本各地で絨毯と古美術の「アナビアン・コレクション」展示会を行っていました。祖父も他界し、時代も変わり、代が代わり、世界の経済状況も混沌とし、贅沢品どころではなくなりました。文化を発信する大切さを痛感し、今年2011年の冬、15年振りに日本で再びペルシャの美術品を展示しました。(下)
悠久のペルシャ
7000年の美と伝統を受け継ぐ
アナビアン コレクション
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ラヒム・アナビアンは、イラン在住の頃(1970年以前)イラン第一の美術コレクター、美術商でした。豊かな知識と眼力により、パーレビー国王の美術顧問を務めていた彼が収集した「アナビアン・コレクション」が15年ぶりに日本で公開することになりました。
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ホテル日航茨木 大阪 2Fのロビーの大きなガラスケースに7000年の歴史を持つ宝物を展示。そのなかには、ペルシャ全土から出土した土器、青銅器、陶器金銀器、珠玉、タイル、石彫、動物の形をした器、イスラム芸術、ペルシャ錦やカシミール毛織物がカラフルにインテリア―・デザインをイメージにディスプレーされました。小さなお子様から専門家までご満喫していただきました。
7000年前の人々は、生活のなかで素焼きの器に食料品を貯蔵していたのです。たぶん大麦か小麦を入れていたのでは、と思われます。これが台所に置かれ、小麦でナーン(平べったいパン)が作られていたことが想像されます。
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時代はいきなり下りますが、写真中央にあるペルシャブルーの椀(12世紀)のなかにはヨーグルトがい入っていました。今でも、ヨーグルトは変わらぬ、古代と同じようなお椀で出されます。動物の形をした器(4000年前)は、リュトンと言われ、ワインを入れていたのです。農家が飼っていた山羊や羊は、生活する上で大切だったので器のデザインに使われていました。
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紀元前の生活の調度品を見ると色んな時代の食文化が垣間見ることができます。お子さんの感性にも呼応したのか、展示品を見てから、名前を記帳してくれました。
平成23年2月17日北摂版の産経新聞にも取り上げられました。
絹のペルシャ絨毯も展示販売されました。
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悠久のペルシャ
7000年の美と伝統を受け継ぐ
アナビアン コレクションの開催
正倉院展が開催される秋、シルクロードの終着地である奈良薬師寺門前でペルシャ文化財コレクションを披露いたしました。
和室の部屋でイランの国宝級の陶器や錦を無造作に並べました。
和室ゆえに古の空気を間近に感じていただけた模様です。
7000年前の巨大な素焼きの土器は真直では、めったに見られない代物です。古代の人はこのなかに麦を保存していたようです。
プーリー・アナビアンはペルシャの古典楽器の演奏家であり、一世紀つづく王家の古美術顧問の家系でもあります。
今回のディスプレーは、ショーケースを使っていないので和風目線で低く鑑賞してもらえたと思います。
コバルト色、瑠璃色、雲ひとつ無い空の色の陶器は、12世紀から13世紀に釉の技術が頂点に至りました。出土されたこれらの陶器は、土のなかで偶然に表面が銀化され、美しい輝きを放っています。
アナビアン・コレクションのなかで最も代表的なのがペルシャ錦。人の手で創り得る最も精密な織物の技術は、100年前に失われ、二度と織ることができません。
消滅する運命にあっペルシャ錦は、半世紀かけてイラン中から蒐集したもので現在あるコレクションに同じものはありません。すべてこれっきりです。
古い織物の多くは昆虫の餌食になってしまい、16~17世紀当時の毛織物は殆んど現存していないので、欠片を絵のようにデザインしました。
こちらは、よく見るとペルシャ錦の欠片が水差しの形にコラージュされています。
こちらの織物の柄に見覚えありませんか。明治~大正のかすり織りの着物に似ていませんか。
中央アジアの「イカット」という伝統織物がいつの間にか日本古来の着物の柄になりました。次回もどこかで”オープン・ミュージアム”を開催する予定です。ぜひ、古代の風に触れてみてください。
2011年11月18日奈良日日新聞による記事。オープンミュージアムの形式を高く評価していただきました。
Pray for Japan Concert & Dinner at PARS CUISINE, Kobe
神戸で唯一のペルシャ・レストランにてディナーショー。
Soroptimist International of OSAKAでランチショー
国際ソロプチミスト大阪ー中央
第12回 ふれ愛ひろば
シルクロートが運ぶペルシャの調べ
東島ホテル 4F(グラマシー)
左:薬師寺の長老、右:プーリー・アナビアン
こうして、1300年前と変わらず、薬師寺とペルシャは交流をつづけています。
国際ソロプチミストから花束をいただきました。(国際ソロプチミスト:管理織に就いている女性で構成された世界的組織の奉仕団体で、女性の人権と地位を高める奉仕活動をしています。)
(上)アナビアン・ペルシャン・歌劇団 左からイラン国立放送局専属歌手、薬師寺長老、ペルシャ伝統楽器サントゥール奏者のプーリー・アナビアン、河村真衣。
(下)奈良とペルシャの赤いリボン~
サントゥール演奏&トーク
日時 平成23年4月23日(土)
奈良県文化会館2F小ホール
主催 なら・シルクロード友の会
後援 (財)なら・シルクロード博記念国際交流財団
「シルクロード友の会」の方々が、この春、日本が災害で大変な状況にあるなか、ペルシャの音楽を聴き、お話に耳を傾けてくださったことに深く感謝致します。
ニューヨークの親戚を訪ねて。左から、マルカ・アナビアン(祖母)プーリー・アナビアン(母)帽子の被ったおじさん(親戚)ダリア(私)親子三代揃って、アメリカのいちばん人気のあるレストランへ向かっているところです。
アメリカの寿司です。マグロにマンゴー、天かすとピーナッツのふりかけは、え?と思われるかもしれませんが、最高に美味しい!
従兄、マイケル・アナビアン、現在ニューヨークの警察官として勤めています。これから9・11の同時多発テロ事件が起こったワードトレードセンターの跡地に向かっているところです。
9・11の記念ミュージアムを建てているところです。9・11の事件が起こって以来、中東の人は、アメリカのビザ入手が困難になり、私は10年振りに祖母に会いにいくことができました。
ビルが倒されたとき、残された十字架は、記念物として置かれています。
テロ事件で魂を癒すミュージアムを建てているところです。
次は、ニューヨークのイラン人コミュニティーでのコンサート風景。マイクを持っている男性は、ニューヨークのマンハッタンで毎年、ペルシャ新年のパレードを行っています。それを記念するセレモニーで、プーリー・アナビアンのペルシャ伝統楽器サントゥールの演奏が行われました。
ここに集まっているイラン人は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教で、イランが2500年前に建国された多民族多宗教共存の精神が受け継がれています。
サントゥールの演奏後の拍手喝采
ニューヨークで行われるペルシャ新年のパレード(下)
この日は、マンハッタンは珍しく歩行者天国になります。アメリカの警察官がイランのライオンと太陽の旗を振っています。2011年でこのセレモニーは、9年目です。9・11以降に始まったセレモニーです。
イラン古代の宗教、ゾロアスター教の新年のお祈り。
よい思い、よい言葉、よい行い。しかし、2500年経ってもこの言葉は実現できていません。
春の新年は、イランの家庭でパーティー巡りです。
それでなくても、元々イラン人にとって人生はパティーなのに新年になると一晩に二つのパーティを巡ることがあります。
パーティー・オン・パレードのなかでも、私の祖母は疲れることなく、踊ってみんなを楽しませました。
母、プーリー・アナビアンの演奏のリズムにのって
祖母は、ペルシャの踊りも、アルメニアの踊りも、上手です。
私はひたすらパティーの食事を食べていました。ペルシャ料理研究家として。
料理ブログをクリックしてみてください。
犬もペルシャ絨毯の上で踊っていました。
祖母の家の前
プーリー・アナビアンはニューヨーク、クイーンズの幼稚園でサントゥール演奏を行いました。
普段やんちゃの子供たちもサントゥール演奏中はじーっと聴いていました。
ニューヨークのマンハッタン
私の伯父は、マンハッタンでペルシャ古美術のギャラリーを経営しながらニューヨーク大学で非常勤講師としてペルシャの芸術を教えています。
よかったら立ち寄ってください。
70年代までは、世界中で多くの考古学者による西アジアの研究が出版物にされ、ちょっとしたペルシャブームになった時期があります。でもそれは、束の間で1979年にイランの革命がおこると祖父は美術品とともにマンハッタンに引っ越し、この店を開きました。
アンティーク絨毯のコレクションは、イランの遊牧民が生活のなかから生み出した即興デザインなので味があります。
ニューヨークのアナビアンギャラリーでは、ペルシャ絨毯は、高級なアンティークになると2年ほどかけて補修します。
ニューヨークのサザビーやクリスティーのオークションで、絨毯の嫁入り先が見つかることがあります。
以前は、マンハッタンと同じ店が日本でも8店舗あり、日本各地で絨毯と古美術の「アナビアン・コレクション」展示会を行っていました。祖父も他界し、時代も変わり、代が代わり、世界の経済状況も混沌とし、贅沢品どころではなくなりました。文化を発信する大切さを痛感し、今年2011年の冬、15年振りに日本で再びペルシャの美術品を展示しました。(下)
悠久のペルシャ
7000年の美と伝統を受け継ぐ
アナビアン コレクション
ラヒム・アナビアンは、イラン在住の頃(1970年以前)イラン第一の美術コレクター、美術商でした。豊かな知識と眼力により、パーレビー国王の美術顧問を務めていた彼が収集した「アナビアン・コレクション」が15年ぶりに日本で公開することになりました。
ホテル日航茨木 大阪 2Fのロビーの大きなガラスケースに7000年の歴史を持つ宝物を展示。そのなかには、ペルシャ全土から出土した土器、青銅器、陶器金銀器、珠玉、タイル、石彫、動物の形をした器、イスラム芸術、ペルシャ錦やカシミール毛織物がカラフルにインテリア―・デザインをイメージにディスプレーされました。小さなお子様から専門家までご満喫していただきました。
7000年前の人々は、生活のなかで素焼きの器に食料品を貯蔵していたのです。たぶん大麦か小麦を入れていたのでは、と思われます。これが台所に置かれ、小麦でナーン(平べったいパン)が作られていたことが想像されます。
時代はいきなり下りますが、写真中央にあるペルシャブルーの椀(12世紀)のなかにはヨーグルトがい入っていました。今でも、ヨーグルトは変わらぬ、古代と同じようなお椀で出されます。動物の形をした器(4000年前)は、リュトンと言われ、ワインを入れていたのです。農家が飼っていた山羊や羊は、生活する上で大切だったので器のデザインに使われていました。
紀元前の生活の調度品を見ると色んな時代の食文化が垣間見ることができます。お子さんの感性にも呼応したのか、展示品を見てから、名前を記帳してくれました。
平成23年2月17日北摂版の産経新聞にも取り上げられました。
絹のペルシャ絨毯も展示販売されました。