2016年2月11日木曜日

サントゥールとオーケストラ


 2015年10月11日(日) 神戸文化ホール


交響曲第8番「未完成」ロ短調 D759/シューベルト作曲
オーケストラとサントゥールのための小協奏曲/Dehlavi-Payvar作曲


西洋クラシックのオーケストラと 3000年前の古代ペルシャの楽器、サントゥールが合体


ヨーロッパクラシック音楽では世界的に高名な指導者、守山俊吾先生がサントゥールを指揮されたのは、初めてのこと。こんな機会を設けるのは不可能に近いと言ってもいいぐらいです。


 イラン最後の王国時代 (1979年のイランイスラム革命の前)の音楽学院の校長先生、ホセイン・デへラビ先生とサントゥール奏者であったファラーマルズ・パーイヴァルが作曲したサントゥール・コンチェルチーノは、オーケストラのために作られた曲。


ペルシャ音楽やアラビア音楽の旋律をヨーロッパの楽譜ですべてを表現し切れないのです。ヨーロッパの1オクターブは、誰でもがご存知の通り、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シですね。でも中東の音楽では、1オクターブが12の音もあるのです。


素人でも分かるように説明すると、ピアノの白の鍵盤と黒の鍵盤の間の音があるのです。実は、ヨーロッパ音楽でも16世紀まではその音階は存在していたのです。でも、ヨーロッパの新しい楽器に合わせて、楽譜を単純化しました。それまでの間の複雑な音がなくなりました。ちなみに日本の伝統楽器や民謡にはまだ残っています。


そこで、今回どうやって、ペルシャ音楽をヨーロッパのオーケストラで表現できたのか。サントゥールの方が、ヨーロッパの単純な楽譜に合わせたのです。まずは、ヨーロッパの音階にある長調(MINOR)に近いペルシャの「イスファハーン」という旋法を使いました。中東独特の”間の音”を使わなくても、ペルシャらしさを出せたのは、作曲家の魔法です。


 現在、西洋文化を禁止する厳格なイスラム国家イランでは、ヨーロッパ・クラシックだけではなく、ペルシャ・クラシック音楽の発展までが衰退しているが、60~70年代までのテヘラン音楽学院の校長先生デへラビ氏はスパルタ教育で音楽のレベルをうんと上げた。


 この時代だったからこそ、オーケストラで演奏するサントゥール・コンチェルチーノが作曲された。それはそれは海のような大きなトレンドの波だった。


サントゥール・コンチェルチーノの曲からは、イラン最後の王国の華やかな黄金時代が感じられる。


今のイランよりも遥かにモダーンで、カラフル。パリのように華やかだったテヘランの街には、2階建ての赤いバスが走り、超ミニスカートを身に着けたソフィアローレンそっくりのイラン人女性が歩く姿もよく見られ、観光客で賑わっていました。


この曲を作曲した校長先生であるデへラビ氏が主導したテヘラン音楽学院は、ロシア(当時は、ソビエトのスパルタ教育で力をかけていたオリンピック選手がいつも優勝していた時代)から音楽の先生を雇っていたのでトップレベルだった。


イスラム革命前のテヘランでは、ラジオ、テレビ、映画音楽、オーケストラなど音楽を世に出す前に必ず、陪審員が先に聞き、音楽が一定レベルを出しているかどうか、厳しい判決を出していた。


現在のイランでは、音楽の陪審がないので全体に質が落ち、その上、自由までなくなっている若者たちは、好きな音楽を演奏しては、逮捕と保釈の繰り返し。


サントゥール・コンチェルトを聴くと、イスラム革命以前のイランは斬新な時代だったことを改めて思い出す、イラン人にとっては特に郷愁にかられる曲。


千載一遇のチャンスで留めずに、


演奏が終わって、守山俊吾指揮者と握手するプーリー・アナビアン。守山俊吾先生は、素晴らしい指揮だけではなく、聴衆に感銘を与えるお話もできる人格者。


今回の演奏をまた別のオーケストラでもやってみたい。



次回は、広島交響楽団かもしれないし、イスラエル・フィルハーモニーかもしれない・・・どこで夢が叶えるでしょう。


大坂音楽大学のサントゥール生徒だった左から現代音楽作曲家の川合清裕さんとピアニストの内海恵さん。日本で稀なペルシャ伝統楽器の奏者が、オーケストラとサントゥールに出演。


たくさんの方々から花が届けられ


家のリビングルームは一週間ほどお花畑でした。