2016年7月17日日曜日

音と音楽で綴るシルクロード物語

東寺空海の旅路〜書と音楽で綴るシルクロード物語
−世界遺産ー東寺の由緒ある客殿でのスペシャル公演
収益金の一部を熊本地震の被災地に寄付致します


日本の書がペルシャの音楽によって書かれる。東寺に響くペルシャの音と日本の筆


日本の文化財に・・・


 近藤先生がこのイベントで音楽に合わせて屏風に書かれた「虚生実帰」の言葉はペルシャの詩歌にも通じました。杯が空になるまで酒を飲み干すことは、生きている今にどっぷり浸かることがハー フェーズというペルシャの詩集にも書かれています。自分を虚にすることでいっぱい実が戻ってくる。仏教と古代ペルシャのゾロアスター教の心はひとつ。

   
近藤先生がこのイベントで音楽に合わせて屏風に書かれた「虚生実帰」の言葉はペルシャの詩歌にも通じました。杯が空になるまで酒を飲み干すことは、生きている今にどっぷり浸かることがハー フェーズというペルシャの詩集にも書かれています。自分を虚にすることでいっぱい実が戻ってくる。仏教と古代ペルシャのゾロアスター教の心はひとつ。


 ペルシャ人が渡来し、都平城京造営のプランを作り、道路建設の監督をし、造園建設の指導をし、都建設の中核になりました。都市の縦横に道路を走らせる碁盤(ごばん)の目はペルシャスタイルです。京都の町はペルシャスタイルなのです。
アラブが侵略してきたときに、ペルシャ人は中国の唐に逃げ、唐にはペルシャ人街ができました。当時のペルシャ人は町作りの天才だったので放射状の都市建設も考えました。それが中国の西安で栄え、唐の都に取り入れられました。放射線のように街が広がっていくのです。唐の時代の中国は多民族多宗教共存国家の思想を取り入れる、史上いちばん華やかな中国に発展していくのです。


ペルシャは、7世紀までは、お酒は宗教儀式に使われていた。アラブが三日月刀をもってペルシャにやってくる禁じられて1000年間、お酒はシンボルとして使われた。せめてきたアラブ人もペルシャに染まって、隠れてお酒を飲んでいたのです。


自由にお酒を飲んだり、恋に落ちたり、本音が言えないので、詩のなかに隠して伝えてきました。

  
言えないことは文学を通して伝えるのがペルシャ文化の基礎にあるので、その神秘性とつつましさに日本人はひかれる。奈良時代も、日本の貴族社会にとって、美的センスが刺激され、生活様が華やかで国際性豊かになりました。


ダルビッシュ有のパパ、ダルビッシュ・セファット・ファルサが奈良時代にいちばん遠くからやってきた御物を見せてくれました。ペルシャのブリリアントカットのワイングラス。白瑠璃碗のレプリカ。ガラスの万華鏡のなかにどんなお酒を入れたのでしょう?


ダルビッシュさんによると、ハオマ酒、ヤギのミルクを発酵させたもの。どんな味がしたのでしょうね?

酔っぱらったペルシャの王様。酔故王が奈良時代の日本にやってきました。


酔っぱらったモンゴル人もやってきているじゃないですか。


古代と同じように、歌・書・音楽で人々は盛り沢山な有意義な時間を過ごし、古代のオリエンタルな華あ咲いたようでした。


書道家、近藤朱鳳先生がペルシャとモンゴルの音楽を聴き、唐時代の有名な詩が浮かんでいました。「送元二使安西 」という漢詩。中国の詩人王、維が 遠くへ旅立つ友を見送る気持を文学にしました。



砂漠の果て西安に 別れを惜しみ、友人に一杯のお酒をすすめた。埃っぽい中国の街は雨で潤い、旅館の周囲の柳は緑が鮮やかだった


西の果てまで送られる友人が無事戻ってくるように暖かい気持が伝わってきます。


東寺で「空書と音楽で綴るシルクロード物語」のイベントで、日本とモンゴルとペルシャが結ばれ、心は詩歌で満たされました。



7月16日(土)に パルス神戸でまたイベントのアンコール 


イランのホームパーティーは、詩と料理と音楽の夕べです。その始まりは交易の道から始まりました。商人が安全な旅、清潔な宿、豪華な料理、娯楽で出迎えられるように、旅の道の途中に隊商宿がどの町にも整備されました。中庭に花が咲いた宮殿ような小さな宿の1階に馬やラクダが駐馬でき、盗賊に襲われないように一晩中番人が見張り、安全で清潔な宿が街の基盤になりました。それが文化として広がり、ペルシャの家庭は来客をもてなす舞台になったのです。


ペルシャの家庭は、おもてなしの舞台です。


スペシャルゲストに、北野の近所のイラン人に来ていただきました。ペルシャの心について語っていただいた。ペルシャの心は、イスラム教以前のゾロアスター教にあるのです。イスラム教ではお酒は悪魔です。当時の宗教、ゾロアスター教ではお酒は、ハッピーになると思われ、悪魔払いとして使っていました。


In Tehran before the revolution in my days, the cafe was not a place to sip coffee and chat, it was a place to meet a renowned artist at the cafe who 朗読 the history of Iran, Shahnameh with rythm then it would be music time. One memorized thousands of pages of poetry. Everyday, they would go forward with the next chapter. People came to listen. People who could not read and write would also listen, to history, wisdom and センス。There would be a stage,Troubadour would come. Competition of Poetry for about 2 hours. If it would not end (ええ勝負)important delegations would come.
persian culture....close to Japanese culture.

ピアノ
久保 比呂誌


ピアノ、書、詩、音楽、語り


今回のイベントで、近藤 が音楽を聴かれて流れてきた言葉は、天花燦々(てんげさんさん)


 天花は生命の意味で、この言葉は天から授かった命を精一杯輝かせようという意味です。


四天王寺の僧正、滝藤睨下の言葉を紹介してくださいました。精一杯生きる 


最期に近藤先生の歌がありました。「上を向いて歩こう」


その場で近藤先生の書は売れました。