2010年10月22日金曜日

正倉院開会式

半世紀前、日本の方がイランを訪問した際に、正倉院の宝物である白瑠璃碗と同じようなワイングラスを発掘し、イラン学について研究が進んでいまし た。彼らがテヘランに来たとき、私の祖父が窓口になっていました。日本とペルシャの飛鳥時代からの交流が、復活したように、かなりの出土品が日本各地の美 術館や博物館に収められました。

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2010年の秋、正倉院の開会式に招待されました。

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今年の宝物、銀の坪の柄は、ペルシャのパルチアショット、日本でいう流鏑馬ですが、人が振り返っている姿が特徴です。イランでは、今でも細密画やペルシャ絨毯にモチーフとして使われています。

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螺鈿細工の琵琶は、ペルシャと中国の融合作品です。

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ルーツは、ペルシャのバルバットという楽器です。

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2010年10月9日 おかやま国際音楽祭 
「マンドリンとサントゥールが奏でる”シルクロードの神秘の響きⅡ”
~伊丹典子&プーリー・アナビアン~」
岡山市立オリエント美術館ホール 

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<マンドリン&サントゥールデュオ> 
「ペール・ギュント」より”アニトラの踊り”(グリーグ)     
イスファハンのデュエット(デラビ)
ホーマイヨン(ザリフ)
チャハール メズラーブ(ワッセギー)
<サントゥールソロ>
シルクロードの微風 ~イスファハーン旋法
<マンドリンソロ> 
前奏曲第10番 (カラーチェ)

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ノルウエーの曲「アニトラ・ダンス」を演奏するリクエストがありました。
サントゥールにはクロマティック(半音階)がそろっていないので、オリジナルのクロマティック・サントゥールを作りましたが、やっぱり演奏は困難でした!

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アンコールは、マンドリン、ペルシャの太鼓、サントゥールで「荒城の月」で締めくくり。

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珍しーサントゥールに人だかり。

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<スライド・ショー&語り> ダリア・アナビアン

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至高のペルシャガラスが特別展示されているホールで講演会をしました。

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平成22年8月1日(日)
シェラトン都ホテル大阪 浪速の間
釜中明出版記念企画 
平城遷都1300年記念 トークセッション
「シルクロードが結ぶ東西の架け橋」 
~ ペルシャから上町台地、平城京へ

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天平文化が花ひらいたその昔に思いをはせる時、ペルシャの隊商がシルクロードを経て、最先端技術を持ち込みました。たくさんの川がハイウエーのように流れ、人と物の交流が活発になった外来文化の入口が上町台地でした。かつての都大路の上を走るのが近鉄上本町線です。

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薬師寺の大谷徹奘氏が見せているのは、薬師寺金堂の薬師如来坐像に見る葡萄唐草紋です。日本が国際的な感覚を育んだ奈良時代、上町台地が入口でした。それを護り伝えた奈良には、大いなる歴史の証を今も見る事が出来ます。

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演奏に入る前に、音色に感応できるよう、会場のみんさんには目を閉じていただきました。その甲斐があって、演奏終了後、アプローチしてきた人が多く、お話し切れませんでした。

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1974年、地縁がある上六の近鉄百貨店でペルシャ古美術「アナビアン・ギャラリー」を開いてたころの友人たちが25年ぶりに訪れてくれました。

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70年代のテヘランです。私たち母娘と一緒にイランへ旅行したときの懐かしい写真を持ってきてくださいました。私の祖父と一緒に写っている写真を見せていただいて、懐かしく、当時のベールは華やかでお洒落だったことも思い出しました。

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2010年3月16日産経新聞

幼 い頃から、週末はお仕事の助けか、両親の邪魔か分からないけれど、上町台地や近鉄デパートを遊び場にしていました。上六の近鉄百貨店で大阪初のペルシャ古 美術ギャラリーが開催され、新聞では、「博物館級の秘宝が陳列されている」と評判になりました。その時のシルクロードの隊商は祖父。私は三代目として、イ ランが鎖国状態のなか(三代目で潰れると言いますが・・・)、上町台地で隙間をこじ開けて、先祖たちが残した深い絆をダリア流に結び直しています。