上町学プロジェクト
大阪城サマーフェスティバル2011
「楽都・おおさか」に関西のペルシャ母娘が参加
大阪城の景色を見渡す追手門学院大手前中・高等学校本館6Fで
プーリー・アナビアン(右)によるペルシャ伝統楽器サントゥールの演奏が行われました。一卵性母娘によるインタビュー(左:ダリア)でペルシャ音楽の始まりを語りました。
古 より聖書で尊ばれ、ピアノの祖先と言われるサントゥールは、ヨーロッパの旋律にない微妙な音程で豊かな表現ができる楽器です。その原点はペルシャの豊かな 自然界。瑠璃色の空に鳥が舞い、恋人を迎えて待つ花々。ペルシャでは、鳥と花がペアーと考えられ、鳥が届ける囀りに花は芳香を放つ。その愛の表現を旋律に したのがサントゥール。
「イスファハーンのプレリュード」F-Minor
「メソポタミアの風」G-Major
こ の二つの旋法で演奏しました。サントゥールは、ピアノの祖先であり、72弦が張られているので、調律に1時間もかります。短音階と長音階の曲を演奏したの でサントゥールを2台持っていきました。鶏の歌う調子を元にその抑揚とリズムから影響を受けているので、幅広くたくさんの戦法がうまれてきたのです。短音 階と長音階の他にも10の旋法があるのでとても微妙な表現がたくさんできます。
伝統的な旋律とリズムのベースにプーリー・アナビアンが今風に編曲しています。
サントゥール演奏の前に、追手門学院「上町プロジェクト」座長追手門学院大学客員教授/関西経済同友会河 内厚郎氏が30分ほど「楽都おおさか」という題名で音楽がどのように日本に入ってきたかアカデミックでユーモアーに溢れる講演をなさった。日本には楽器が もともとなく、ほとんどがシルクロードから終着駅の上町台地に入ってきて演奏、歌、舞踊の楽団が流行した。もともと狩をする民族の方が音に敏感で、音楽が 発達したからです。いろいろな楽器が入った上町台地は、海に囲まれてその景色は、”東のベニス”ほど美しかったらしいです。大昔の大阪は、天満橋から天王 寺までの半島で、難波あたりは、太平洋から流れる潮と瀬戸内海明石海峡から流れ込む瀬がぶつかって△波になったために難波と呼ばれるようになった。
河内厚郎氏と私とのちょっとした漫才対談で話したんですが、
”難儀”と”チャランポラン”はペルシャ語で、「あの人ちゃらんぽらん
いうて難儀やわ」というたら、ほとんどがペルシャ語です。意味も
一緒です。1300年ほど前、アラブがペルシャを占領したとき
ペルシャ人は、宝物をもって唐の中国へ亡命しました。中国の
古都、西安は当時の国際都市だったので、ペルシャの貴族や
技術者を受け入れ、ペルシャ人街ができたのです。中国政府
の役人に登用されていきました。日本はそのとき飛鳥時代、
中国から様々な文化や技術を取り入れたとき、ペルシャも
一緒に入ってきました。上町台地が表玄関だったのでペルシャ
の楽団(楽器、歌、舞踊)が四天王寺で滞在してたのです。
それと同じ物語が21世紀でも起ったのです。私の祖父が
半世紀前にいろいろな日本の考古学者と交流を持って
宝物を日本に運び、上本町6丁目の近鉄百貨店で大阪初
ペルシャ古美術ギャラリーを開き、日本中の博物館にも
宝を分けました。だから3代目の私もペルシャから日本に辿り
着いたのが上町台地。1979年にイランではイスラム革命が
起ったために、このまま上六に居座っているのです。
2011年8月23日
御 存じですか。紀元前の大阪。上町台地が半島で、下記の本の表紙の水色部分は海だったのです。緑の部分が上町台地でした。不思議な地縁で、私が7歳のときに 両親がこの地で大阪初のペルシャ古美術ギャラリーを開きました。私は、古代出土品コレクションを引き継いで、ペルシャ文化を紹介しています。シルクロード が盛んだった飛鳥時代もペルシャの御物が船で上町台地に到着し、ここから奈良の都の運ばれていきました。
芸能、陶器、科学、植物など多様な角度から大阪を見つめ直す本を紹介します。「上町学 再発見 古都おおさか」産経新聞出版 著者 大手門学院上町学プロジェクト。ダリアのコラム「懐かしい浪速 ペルシャとの赤いリポン」も集録。
大手書店にて販売しております。お近くの書店にない場合は、お手数ですが、お取り寄せっで購入ください。
「上町学 再発見・古都大阪」の出版記念パーティー
出版記念パーティーでは、から揚げとサラダのシンプルな応対でしたが、内容は大変濃く、スピーチされた著者たちのメッセージが有意義で、とても満腹しました。外国人にとって日本でいちばん住みやすい上町台地人は形式ばらない自由な商人気質だからと思うのです。
追手門院上町学のプロジェクト・チーム
2011年1月29日(土曜日)奈良県香芝市のふたかみ文化センター2階の会議室でレクチャー・コンサート
「シルクロードが結ぶペルシャと日本の架け橋
ペルシャの春いちばん~ シルクロードのお正月」
ペルシャ打楽器、サントゥール奏者 プーリー アナビアン
ペルシャ文化伝導士 ダリア アナビアン
グローバル香芝のたくさんのメンバーの方々のお陰でペルシャに文化的な縁があり、天平の時代から外国人を受け入れ、当時のグローバル社会だった奈良で演奏と講演をさせていただきました。グローバル香芝のメンバーのなかでも50カ国を回っていたので話も弾みました。
ペルシャの母娘はコンサート&レクチャーの活動で走り回り、数えてみると、一年で30回でテーマの引出がちょっとずづ増えていってます。
天平時代のグローバル社会だったかもしれないけど、奈良時代は大陸的で訪れるたびに、ほっとさせるものがあります。733年第二回遣唐使が中国の唐から奈良の都に戻るときに当時の先進国の大陸文化とともにペルシャの人も楽団とともにやってきたのです。
2011年1月30日の讀賣新聞にペルシャ母娘のコンサート&レクチャーが載りました。
ペルシャの母娘は、香芝に縁が深いせいか、2011年の初レクチャーコンサートは、1月9日の香芝ライオンズ新年家族例会
に呼ばれてシェラトン都ホテル大阪で「シルクロードのお正月」のお話とペルシャ伝統楽器 サントゥールの調べを奏でました。
主催者の中西さんが、感想を俳句で送ってくれました。
新年会千夜一夜 2011年香芝ライオンズクラブ新年会
今年もこの言葉で日本とペルシャの歴史的文化の赤い糸が解けないようにさらに強く結べたらと願っています。でも、私がお話すると千夜一夜のアラビアンナイトが、千日前一夜物語のアナビアンナイトですよ。
大阪城サマーフェスティバル2011
「楽都・おおさか」に関西のペルシャ母娘が参加
大阪城の景色を見渡す追手門学院大手前中・高等学校本館6Fで
プーリー・アナビアン(右)によるペルシャ伝統楽器サントゥールの演奏が行われました。一卵性母娘によるインタビュー(左:ダリア)でペルシャ音楽の始まりを語りました。
古 より聖書で尊ばれ、ピアノの祖先と言われるサントゥールは、ヨーロッパの旋律にない微妙な音程で豊かな表現ができる楽器です。その原点はペルシャの豊かな 自然界。瑠璃色の空に鳥が舞い、恋人を迎えて待つ花々。ペルシャでは、鳥と花がペアーと考えられ、鳥が届ける囀りに花は芳香を放つ。その愛の表現を旋律に したのがサントゥール。
「イスファハーンのプレリュード」F-Minor
「メソポタミアの風」G-Major
こ の二つの旋法で演奏しました。サントゥールは、ピアノの祖先であり、72弦が張られているので、調律に1時間もかります。短音階と長音階の曲を演奏したの でサントゥールを2台持っていきました。鶏の歌う調子を元にその抑揚とリズムから影響を受けているので、幅広くたくさんの戦法がうまれてきたのです。短音 階と長音階の他にも10の旋法があるのでとても微妙な表現がたくさんできます。
伝統的な旋律とリズムのベースにプーリー・アナビアンが今風に編曲しています。
サントゥール演奏の前に、追手門学院「上町プロジェクト」座長追手門学院大学客員教授/関西経済同友会河 内厚郎氏が30分ほど「楽都おおさか」という題名で音楽がどのように日本に入ってきたかアカデミックでユーモアーに溢れる講演をなさった。日本には楽器が もともとなく、ほとんどがシルクロードから終着駅の上町台地に入ってきて演奏、歌、舞踊の楽団が流行した。もともと狩をする民族の方が音に敏感で、音楽が 発達したからです。いろいろな楽器が入った上町台地は、海に囲まれてその景色は、”東のベニス”ほど美しかったらしいです。大昔の大阪は、天満橋から天王 寺までの半島で、難波あたりは、太平洋から流れる潮と瀬戸内海明石海峡から流れ込む瀬がぶつかって△波になったために難波と呼ばれるようになった。
河内厚郎氏と私とのちょっとした漫才対談で話したんですが、
”難儀”と”チャランポラン”はペルシャ語で、「あの人ちゃらんぽらん
いうて難儀やわ」というたら、ほとんどがペルシャ語です。意味も
一緒です。1300年ほど前、アラブがペルシャを占領したとき
ペルシャ人は、宝物をもって唐の中国へ亡命しました。中国の
古都、西安は当時の国際都市だったので、ペルシャの貴族や
技術者を受け入れ、ペルシャ人街ができたのです。中国政府
の役人に登用されていきました。日本はそのとき飛鳥時代、
中国から様々な文化や技術を取り入れたとき、ペルシャも
一緒に入ってきました。上町台地が表玄関だったのでペルシャ
の楽団(楽器、歌、舞踊)が四天王寺で滞在してたのです。
それと同じ物語が21世紀でも起ったのです。私の祖父が
半世紀前にいろいろな日本の考古学者と交流を持って
宝物を日本に運び、上本町6丁目の近鉄百貨店で大阪初
ペルシャ古美術ギャラリーを開き、日本中の博物館にも
宝を分けました。だから3代目の私もペルシャから日本に辿り
着いたのが上町台地。1979年にイランではイスラム革命が
起ったために、このまま上六に居座っているのです。
2011年8月23日
追手門学院大手前中・高等学校本館6Fにて
御 存じですか。紀元前の大阪。上町台地が半島で、下記の本の表紙の水色部分は海だったのです。緑の部分が上町台地でした。不思議な地縁で、私が7歳のときに 両親がこの地で大阪初のペルシャ古美術ギャラリーを開きました。私は、古代出土品コレクションを引き継いで、ペルシャ文化を紹介しています。シルクロード が盛んだった飛鳥時代もペルシャの御物が船で上町台地に到着し、ここから奈良の都の運ばれていきました。
芸能、陶器、科学、植物など多様な角度から大阪を見つめ直す本を紹介します。「上町学 再発見 古都おおさか」産経新聞出版 著者 大手門学院上町学プロジェクト。ダリアのコラム「懐かしい浪速 ペルシャとの赤いリポン」も集録。
大手書店にて販売しております。お近くの書店にない場合は、お手数ですが、お取り寄せっで購入ください。
「上町学 再発見・古都大阪」の出版記念パーティー
出版記念パーティーでは、から揚げとサラダのシンプルな応対でしたが、内容は大変濃く、スピーチされた著者たちのメッセージが有意義で、とても満腹しました。外国人にとって日本でいちばん住みやすい上町台地人は形式ばらない自由な商人気質だからと思うのです。
追手門院上町学のプロジェクト・チーム
2011年1月29日(土曜日)奈良県香芝市のふたかみ文化センター2階の会議室でレクチャー・コンサート
「シルクロードが結ぶペルシャと日本の架け橋
ペルシャの春いちばん~ シルクロードのお正月」
ペルシャ打楽器、サントゥール奏者 プーリー アナビアン
ペルシャ文化伝導士 ダリア アナビアン
グローバル香芝のたくさんのメンバーの方々のお陰でペルシャに文化的な縁があり、天平の時代から外国人を受け入れ、当時のグローバル社会だった奈良で演奏と講演をさせていただきました。グローバル香芝のメンバーのなかでも50カ国を回っていたので話も弾みました。
ペルシャの母娘はコンサート&レクチャーの活動で走り回り、数えてみると、一年で30回でテーマの引出がちょっとずづ増えていってます。
天平時代のグローバル社会だったかもしれないけど、奈良時代は大陸的で訪れるたびに、ほっとさせるものがあります。733年第二回遣唐使が中国の唐から奈良の都に戻るときに当時の先進国の大陸文化とともにペルシャの人も楽団とともにやってきたのです。
2011年1月30日の讀賣新聞にペルシャ母娘のコンサート&レクチャーが載りました。
ペルシャの母娘は、香芝に縁が深いせいか、2011年の初レクチャーコンサートは、1月9日の香芝ライオンズ新年家族例会
に呼ばれてシェラトン都ホテル大阪で「シルクロードのお正月」のお話とペルシャ伝統楽器 サントゥールの調べを奏でました。
主催者の中西さんが、感想を俳句で送ってくれました。
新年会千夜一夜 2011年香芝ライオンズクラブ新年会
今年もこの言葉で日本とペルシャの歴史的文化の赤い糸が解けないようにさらに強く結べたらと願っています。でも、私がお話すると千夜一夜のアラビアンナイトが、千日前一夜物語のアナビアンナイトですよ。