ダリア・オリジナル・デザート
2007年11月30日
ほんまにおもろい、ほんまに泣ける、ほんまにためになる原田年晴さんの金曜日のライブ番組にほんまもんのゲストとして出演しました。イランとイスラエルの本音を語りました。
2007年12月3日
ホテル日航茨木の総支配人・嶋村卓也さんとダリア・デザートPART Ⅱを吟味。これからホテルで常時販売される。
我が家の食卓の上にてペルシャの伝統的スイーツをお披露目。
ここから選りすぐりのダリア・デザート
2007年10月26日初デビュー
ホテル日航茨木の「ペルシャの四季」
2007年11月10日の産経新聞に紹介されました。
ペルシャの四季を表す4色ブラマンジェ。上の層から説明すると、サフランは、春のさんさんと輝く太陽。カカオは、秋のチョコレート色の街の並木。バニラは、 シャーベットのように冬の山脈をすっぽり包む雪。ミントは、ペルシャブルーの透き通った夏の空。イランは砂漠の国とイメージされる方が多いので、このデ ザートで、ペルシャの四季が味わえる。
地理的変化に富んでいるイランは、紅葉と雪山が同時に鑑賞できる。
プールで泳ぎ、一時間車で山へ走ればスキーができる。一日のうちに四季が味わえる。このデザートもワンシーズンごとに味わっても良いし、フォー・シーズンを一度に楽むこともできる。
ダリア・デザート PARTⅡ ペルシャの四季
果物と生クリームが乗ったバージョンが
2007年12月4日にデビュー。
2008年の春、デビュー予定
ダリア・デザート PARTⅢ 黄金のういろう
ペルシャの新年は、自然界が生まれ変わる春分の日に当たり、
スイートな年を迎えるためにペルシャの黄金のういろうを食べる伝統があります。
お米を使ったお菓子は、和菓子によく似ています。このサフランのういろうは、ホテル日航茨木では、黄金のういろうで餡を覆い、桜餅とペアーで売り出す予定。
2008年の春、デビュー予定
ダリア・デザート PART Ⅳ 橘ケーキ
天皇の宮殿のお庭に植えられていた木に咲く橘。花形の和菓子はあっても、橘そのもののエッセンスを入れたケーキは、日本中探してもおそらく見つからないで しょう。そのエッセンスは、ペルシャやアラブ諸国でしか採取できない。ホテル日航茨木でデビュー予定の橘ケーキは人参、南瓜、バナナ、カルダモン、薔薇 水、橘水の絶妙な取り合わせです。来年の夢、独創的なお菓子創作に向かって。
チャータークルーズ飛鳥Ⅱ:ペルシャン・ナイト
日本一の豪華客船でペルシャの音楽&トーク
2007年11月16日
ペルシャン・ナイト
主催:日本旅行
会場:チャータークルーズ飛鳥Ⅱ
神戸港~別府港~神戸港
11月16日~18日 2泊3日
これから乗る船の雄姿
左:ペルシャ伝統楽器奏者プーリー・アナビアン
右:サントゥールのパートナー、河村真衣さん
カリスマ添乗員平田進也さんと共に神戸港を出航
船での宿泊初体験に笑顔が咲き乱れる
船の真向かいのターミナルからトランペットのオーケストラに見送られて
別れの五色のテープ
ASUKAⅡのペルシャン・ナイトで司会
ダリアと平田進也さん
と謎のペルシャ人
三人のなにわ漫談でペルシャの歴史を語ってから
ペルシャ伝統楽器サントゥールの演奏が始まる
ペルシャン・ナイトのフィナーレでおどけた4人
左から:クラレの橋本保さん、平田進子ちゃん、プーリー・アナビアン
寺田一義さん(さきほどの謎のペルシャ人)
翌日は、別府の地獄めぐり。サントゥール奏者・河村真衣さんと地獄巡りをしてから縁起物の白い蛇を触ってきた。神聖なものとして写真は拒否された。触ってみて、蛇のくせにぬくかった。
ASUKAⅡの宿泊ルーム
水泳プール
船の船長と今年受賞したボジョレ・ヌーボでカンパイ
船長は最高責任者の貫録充分
神戸港に戻るときに船長が船のバルコニーで最後のお別れに手を振ってくれた。
ホテル日航茨木:魅惑のペルシャ
2007年10月27日
薔薇で繋がるペルシャと茨木
ランチタイムスペシャル~魅惑のペルシャ
主催 ホテル日航茨木 大阪
会場 2階 宴会場
悠久の歴史の中に奏でるサントゥールの調べとペルシャ料理
出演者
ペルシャ・ナビゲーター
ダリア・アナビアン
ペルシャ伝統楽器・サントゥール奏者
プーリー・アナビアン
ペルシャ伝統楽器・サントゥール奏者
河村真衣
スペシャルゲスト
ダルビッシュセファット・ファルサ
(ダルビッシュ有投手の父)
神秘的な楽器の調べに心癒されるつかの間の小旅行
曲名「ダルビッシュ」
コンサートの後は、本格的ペルシャ料理を味わっていただいた。
中世ヨーロッパやインドに影響を与えたペルシャ料理は、アラビア宮廷では芸術とまで言われ、今でも食べ継がれているこの料理は、日本では殆ど知られず、かなり食通の人でもまだ経験したことのない味。
メニュー
キャバーブ・クビデ (ミンチ肉の焼き物)
「キャバブ」は、世界中に広がり、コスモポリタンな言葉となっている。キャバブの下ごしらえと料理方法は、通常のバーベキューと違って、 香辛料、玉葱、にんにく、カーダモンが隠し味として使われている。
スッペ・ジョウ (麦・トマト・人参、ハーブのスープ)
メソポタミアの川の辺からイラン高原の住民が輸入した麦は、5000年間食べ継がれている。
ゴルメサブズィ (ほうれん草・パセリ・ニラの煮込み)
日本では彩りに使われるパセリがメイン舞台へと活躍の場を広げる代表的煮込み料理。
マスト・ヒヤール (胡瓜のヨーグルト和え ミント風味)
イランではヨーグルトはデザートに食べる習慣がなく、料理の種類が豊富で塩味で楽しむ。
カルダモン・チャイ
デザートは、ダリア・スペシャル「ペルシャの四季」
ペルシャの四季を表す4色ブラマンジェ。上の層から説明すると、サフランは、春のさんさんと輝く太陽。カカオは、秋のチョコレート色の街の並木。バニラは、 シャーベットのように冬の山脈をすっぽり包む雪。ミントは、ペルシャブルーの透き通った夏の空。イランは砂漠の国とイメージされる方が多いので、このデ ザートは、ペルシャの四季を示す。魅惑のペルシャの入り口へどうぞ。
また地理的変化に富んでいるため、紅葉と雪山を同時に鑑賞でき、
プールで泳いで、一時間車で山へ走ればスキーができる。一日のうちに四季が味わえる。このデザートもワンシーズンごとに味わえるし、フォー・シーズンを一度に楽しめることもできる。
ホテル日航茨木 大阪で常時販売されているのでお味見どうぞ。
ランチの後のお話 ペルシャと茨木を繋げる薔薇。
最 古の薔薇の栽培は、ペルシャであり、2500年前の世界で最初の帝国、ペルシャで薔薇の香がもてはやされ、春の神殿で催された新年会で、日本でいうみそぎ のように、薔薇水を撒いていた。10世紀のペルシャ黄金時代には、文化と科学が栄え、薔薇の栽培と抽出方法が非常に盛んになった。ペルシャの有名な医学者 アビセンナによって研究された蒸留方法で確立された精油が現在、全世界に広まっている。またこの時代には、たくさんの文学者や詩人が薔薇の詩を謳った。砂 漠に囲まれている薔薇のオアシス、シラーズにある「エラムガーデン」は今でも観光客の人気の的。エラムは楽園という意味で、その名にふさわしく薔薇を中心 に花々が咲き乱れる名所。ここには私の子供時代の薔薇色の思い出でもある。薔薇の都、シラーズには詩人の記念廟がたくさんあり、彼らの謳った詩歌がタイル の壁に刻まれ、人々の心にも刻まれている。詩は音楽とも密接な関係があり、リズムを付けて歌う。読み書きできない人でも歌詞を暗記し、古代からの伝統で、 日常会話に引用されるほど、親しまれている。数ある詩人のなかで、ハーフェーズのメッセージを紹介。
故郷のシラーズでは、どんな想いもどんな話しも、
風に散ってしまうのだから、
天空のみ目指して舞い上がっていこう。
優しい春風よ、僕が砂になったら天に吹き上げておくれ。
そうしたら、僕は天使たちに出会うだろう。
イ ラン人が世渡りするときいちばん支えにしているのが詩人の言葉。この時代に謳われた詩は、今でもすべてのイラン人の魂の奥底に刻まれている。今のイランの イスラムのイメージは、表面的なことに過ぎず、イラン人の心はポエム。現代のイラン映画のメッセージであろうと、ペルシャ絨毯の模様であろうと、あらゆる 分野で詩が讃えられ、根底にあるのはポエム。
こ のイベントのお開きのデザートはダルビッシュさんのお話。実は「ダルビッシュ」もペルシャの文学に頻繁に登場する名前。パリの国立図書館に保存されている もっとも古い14世紀版の「千夜一夜物語」では、37夜にダルビッシュという男が登場する。40夜には2番目のダルビッシュ53夜には3番目のダルビッ シュが登場し、合計3人のダルビッシュが登場。この人たちは、みんな王子さまや大臣の子供で、みんなしっかりした教育を受け、豊かに育つが、予想外の不運 が訪れ、砂漠の砂嵐が襲うスピードで思いがけない土地へ吹き飛ばされ、故郷を去らなければならない。一瞬に過去が消え、新たな世界へと放り出される。ダル ビッシュたちは、知り合いも誰もいない世界へ置き去られる。
今日のスペシャル・ゲストはダル ビッシ4世・・・ダルビッシュセファット・ファルサさんも遠いイランから千夜一夜物語のダルビッシュたちのように文化も言語も違う日本まで渡ってきた。彼 は数少ないペルシャ文化の伝道師である。ダルビッシュさん曰く、シルクロードというとみんな過去のことを想像されるが、本当は今も生き続けている。華やか なペルシャ絨毯や薔薇の香や詩の心を運んでくるイラン人が現代シルクロードを延長している。そんなダルビッシュさんのメッセージを新鮮に感じた。
と ころで、ペルシャ語で「ダルビッシュ」は、深い意味を持ち、文学やポエムによく通じていて、物に執着がなく、椅子すら望まない砂の上に生きる人のことをい う。たんに質素倹約に生きるのではなく知的で、音楽、数学、幾何学、芸術などにも精通した人。ペルシャ語の諺で「りんごの木に果実が多く実るほど枝がたわ む」というが、ダルビッシュは正にそんな意味。
イ ベントの帰りの和やかな集い。ホテル日航茨木 大阪で「魅惑のペルシャ」のイベントの一端として3日間、ダルビッシュさんの展示会が披露された。青い看板 はペルシャの薔薇水の抽出過程が書かれている。ダルビッシュさんの一押しのペルシャの薔薇の香水も販売されている。ペルシャが原産と言われる「ダマスク ローズ」(野薔薇)から抽出したローズエッセンスの香に包まれた。
こ の日にプロ野球の日本シリーズが始まった。北海道日本ハム対名古屋中日ドラゴンズの第一戦にダルビッシュさんの息子さんの有さんが完投勝利した。ディリー スポーツ新聞には、父のダルビッシュさんは「何故北海道まで大事な試合に駆けつけなかったのか」とインタービューを受けた。ダルビッシュさんは「ホテル日 航茨木で日本とイランを結ぶ文化交流の大事な催しがあった」との答え。この日は、アナビアン母娘との文化的イベンドがあったので試合に行けなかったのだ。
SPECIAL THANKS ホテル日航茨木 社長・杉浦康夫さん、総支配人・嶋村卓也さん、企画部長・勝浦司さん、総料理長・前田五月さん、ペーストリー シェフ・才木幸次さん、企画&マネージャー・森脇隆さん、日本旅行カリスマ添乗員・平田進也さん
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千葉県柏市:幻の響がつなぐ日本とペルシャ
2007年 9月24~25日
幻の響がつなぐ日本とペルシャ
於 アミューゼ柏 市民プラザ
主催 近藤朱鳳作品展実行委員会
後援 柏市教育委員会
近藤朱鳳先生の古代から受け継がれた天慶流の書・ペルシャの書・音楽・文化のお話、そしてクリスタルボールから出る音との共演。
プーリー・アナビアンのサントゥール演奏にのって絹織物に筆を躍らせる朱鳳先生。
右上: 白い絨毯に座っているのはクリスタルボールをサントゥールの音階に合わせて奏でている遠藤敬子さん。
出来上がった絹の着物を見て、びっくり。
プーリー・アナビアンが驚いているのは、朱鳳先生が即興で書かれたペルシャの民話。国歌よりも心に近いペルシャ民話ペスト1のエッセンスを日本語で着物に書かれました。イラン人が国土に対する気持を表した詩の一端。
山脈の石は煌く宝石
砂漠の砂は輝く金粉
大地は文明のゆりかご
永遠に栄えますように
朱鳳先生の書とペルシャ書で同じ言葉を書いた。
朱鳳先生の書をクローズアップ
会場での展示:左側:ペルシャ書道
アンコールには、三人揃って、サントゥール演奏、クリスタルボールの音にのって朱鳳先生が筆を朱色の帯に走らせました。
紙も着物も帯に書き尽くしたのでアンコールには、朱鳳先生は自ら着ている着物全体に書を書いたダイナミックなパホーマンスだった。そのときの様子が詳しく遠藤敬子さんのブログに描写されているのでこちらクリックとこちらもクリックしてみて!
ちょっとここらで最後の一服にダリア・アナビアン・ナイト版の白馬の王子さまのお話。1000年前の黄金時代のペルシャの物語にもクリスタルボール(水晶の玉)が登場する。
当時のペルシャの領土で繁栄を極めていた街、バクダットで占い師がミントの紅茶を飲んでいたら、水晶の玉からメッセージが現れた。「幸せは自分の手で掴み取るものだ」
バ クダットの泥棒は、何を見てもすぐにほしがり、必要のないものまで盗みたくなる。ある時、泥棒は魔法使いに出会い、縄を買いたいと交渉した。でも、魔法使 いは縄を売りたくないときっぱり断った。バクダットの泥棒は我慢ができなく、魔法使いがお祈りしている最中、その縄を盗み、モスクに逃げ込んだ。 モスク のなかで坊主が「幸せは自分の手で掴み取るものだ」とお説教をしていた。バクダットの泥棒は、ふふっと笑った。
バクダットの泥棒は、魔法 の縄を使ってお城に入り込んだ。モスクで聞いたお説教を思い出して、素晴らしい宝石を手に入れた。お城から出ようとすると、宝石よりも美しいヤスミン姫に 目がとまった。その瞬間、魅了され、我を忘れて立ち止まった。そこへ召使いがやってきて、泥棒を捕まえようとしたが、バクダットの泥棒は、テーブルをひっ くり返し、窓から飛び降りた。
あくる日、ヤスミン姫を忘れられず泥棒は、王子の格好をしてお城に潜り込んだ。
しかし、そこには、 他にもたくさんの王子たちが宴会をしていた。モンゴル王子、インド王子、ペルシャ王子が招かれていた。お城の水晶占い師が、中庭の薔薇を最初に摘んだ人が ヤスミン姫の婚約者になると占った。泥棒王子は、それを知らずに薔薇の木の下に立ち止まり、ふと薔薇を掴んだ。するとそのとき、召使いに見つけられ「あの 人は泥棒だ!」と叫ばれた。泥棒王子は、鞭打ち刑を受けるために町へ引き出された。
ヤスミン姫は、次はバクダットでいちばん素敵なプレゼントを持ってきた人と結婚すると条件を出した。一方、お姫様は薔薇の木の下に立ち止まり、花を摘んだ運命の人が気にかかっていた。純真無垢なお姫様は、泥棒王子に会うことを願い、とうとう病気になってしまった。
バ クダットの泥棒王子は命からがら逃げ、秘密の出口からまたお城に入り込み、ヤスミン姫に「貴女の愛が私の過ちを気付かせた」と告げた。泥棒王子は、占い師 を尋ね、あったことをすべて話した。占い師は、水晶の玉を見て、答えを出した。「幸せは自分の手で掴め」と言い、魔法の箱のある場所を告げた。
お 城では、王子たちは、それぞれヤスミン姫に素敵なプレゼントを持ってきた。モンゴル王子は不老長寿の薬、インド王子は全てを見渡す水晶。ペルシャ王子は、 どこへでも飛んでいける空飛ぶ絨毯。バクダットの泥棒王子は、魔法の箱。そこには、誰にでも化けられる粉が入っていた。
ペルシャ王子の空 飛ぶ絨毯に乗ってヤスミン姫にモンゴル王子の不老長寿の薬を届けなければならない。しかし、ペルシャ王子の空飛ぶ絨毯か、モンゴル王子の不老長寿の薬か、 プレゼントは一つしか選ぶことが許されなかった。両方そろわなければお姫様の命は、救われない。どうそればよいのか、王子たちが言い合っている間に、モン ゴル王子がバクダットを占領してしまった。バクダットの泥棒王子は、変身術の粉を使って、黄金の服に身を包んだ白馬に乗って到着。モンゴルの軍隊をやっつ けて、バクダットの民を救った。コンテストの勝利宣言をし、ペルシャ王子の空飛ぶ絨毯とヤスミン姫を盗み、夕日の彼方へ消えていった。
ここで物語は、ハッピー・エンドで終わるはずだけど、水晶玉の占いに振り回されていく。インド王子が二人の居場所を水晶の玉のなかで見つけてしまった。そして、水晶の玉からメッセージが現れた。「幸せは自分の手で掴み取るものだ」・・・
おもしろペルシャ
なにわのカリスマ添乗員平田進也さんとダリアがお届けする
古代ペルシャ7000年前~現代までの旅
おもしろペルシャの昼食会
会場:心斎橋クロスホテル(旧ホリディー南海)3階
主催:日本旅行
キャスト:平田進也、ダリア、リリアン
凸凹トリオでおもしろペルシャトーク
おもしろペルシャの会は、サプライズ・ゲスト
プーリー・アナビアンのサントゥール演奏で始まった。
ランチメニューは、お茄子とトマトの煮込み料理、すっと爽やかヨーグルトサラダ、女性の美肌に利く薔薇のデザートとカルダモンチャイ。
おもしろペルシャ 07/09/17
好評につき第2回目のおもしろペルシャの昼食会
会場:心斎橋クロスホテル(旧ホリディー南海)3階
主催:日本旅行
平 田さんに出会ったきっかけは、関西空港の第2滑走路の完成記念のイベントで、私はパネリストとして彼の横に座るめぐり合わせだった。平田さんは、カリスマ 添乗員として、どんな無理な客さんの要望でも決して「ノー」と言わない。彼のポリシーは、ペルシャ商人そのものだと親しみを感じ、お出会いしてすぐに手紙 を出した。イランでは、人からものを頼まれると絶対に「ハイ」と答えるのが伝統。頼まれて断るのは文化人じゃないという精神がある。平田さんはオーロラを 見に行くツアーで、天候の具合からオーロラが出なくても、お客さんに対しては「ハイ!オーロラを出します」という勢いで日本一の添乗員になった。
こんなことが私たちのおもしろペルシャ漫談の始まり。
お もしろペルシャの会に、2人のペルシャ人も参加した。上真中のハミ・エサキ氏は私の友人。帝塚山でパジリクという絨毯ギャラリーを経営しているなにわのペ ルシャ商人。もう一人のペルシャ人は、ダルビッシュ・ファルサ氏。北海道日本ハム球団で有名なダルビッシュ有君のパパ(右下)で芦屋のペルシャ商人。ダル ビッシュギャラリーを経営している。
ラ ンチメニューは、甘酸っぱい林檎シチュー、黄金のサフランライス、ミント風味のさいころサラダ、ペルシャの三色ブラマンジェ、カルダモンチャイ、イランか ら直輸入「ギャズ」というキャラメル。木の樹液にピスタチオと薔薇水を混ぜたもの。始めて味った方は、昔、日本にあった懐かしの味と言ってた。
ランチの後のおまけツアー:大阪歴史博物館のペルシャ文明展でみんなじっくりペルシャの至宝を見に行った。
平田進也ファンのとっておきのペッピンさんたち。実は、私たちは、顔を合わす前から、平田進也氏のブログでお友達になり、めちゃくちゃ盛り上がった。よかったら覗いてみて。http://blog.hiratashinya.com
おもしろペルシャの打ち上げ会。鶴橋で「串八珍」という名前の店、げてもんが好きな方におすすめ。
一日の疲れで、みんなのワイワイが耳にも入らず居眠りしている人。
2007年11月30日
ほんまにおもろい、ほんまに泣ける、ほんまにためになる原田年晴さんの金曜日のライブ番組にほんまもんのゲストとして出演しました。イランとイスラエルの本音を語りました。
2007年12月3日
ホテル日航茨木の総支配人・嶋村卓也さんとダリア・デザートPART Ⅱを吟味。これからホテルで常時販売される。
我が家の食卓の上にてペルシャの伝統的スイーツをお披露目。
ここから選りすぐりのダリア・デザート
2007年10月26日初デビュー
ホテル日航茨木の「ペルシャの四季」
2007年11月10日の産経新聞に紹介されました。
ペルシャの四季を表す4色ブラマンジェ。上の層から説明すると、サフランは、春のさんさんと輝く太陽。カカオは、秋のチョコレート色の街の並木。バニラは、 シャーベットのように冬の山脈をすっぽり包む雪。ミントは、ペルシャブルーの透き通った夏の空。イランは砂漠の国とイメージされる方が多いので、このデ ザートで、ペルシャの四季が味わえる。
地理的変化に富んでいるイランは、紅葉と雪山が同時に鑑賞できる。
プールで泳ぎ、一時間車で山へ走ればスキーができる。一日のうちに四季が味わえる。このデザートもワンシーズンごとに味わっても良いし、フォー・シーズンを一度に楽むこともできる。
ダリア・デザート PARTⅡ ペルシャの四季
果物と生クリームが乗ったバージョンが
2007年12月4日にデビュー。
2008年の春、デビュー予定
ダリア・デザート PARTⅢ 黄金のういろう
ペルシャの新年は、自然界が生まれ変わる春分の日に当たり、
スイートな年を迎えるためにペルシャの黄金のういろうを食べる伝統があります。
お米を使ったお菓子は、和菓子によく似ています。このサフランのういろうは、ホテル日航茨木では、黄金のういろうで餡を覆い、桜餅とペアーで売り出す予定。
2008年の春、デビュー予定
ダリア・デザート PART Ⅳ 橘ケーキ
天皇の宮殿のお庭に植えられていた木に咲く橘。花形の和菓子はあっても、橘そのもののエッセンスを入れたケーキは、日本中探してもおそらく見つからないで しょう。そのエッセンスは、ペルシャやアラブ諸国でしか採取できない。ホテル日航茨木でデビュー予定の橘ケーキは人参、南瓜、バナナ、カルダモン、薔薇 水、橘水の絶妙な取り合わせです。来年の夢、独創的なお菓子創作に向かって。
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チャータークルーズ飛鳥Ⅱ:ペルシャン・ナイト
日本一の豪華客船でペルシャの音楽&トーク
2007年11月16日
ペルシャン・ナイト
主催:日本旅行
会場:チャータークルーズ飛鳥Ⅱ
神戸港~別府港~神戸港
11月16日~18日 2泊3日
これから乗る船の雄姿
左:ペルシャ伝統楽器奏者プーリー・アナビアン
右:サントゥールのパートナー、河村真衣さん
カリスマ添乗員平田進也さんと共に神戸港を出航
船での宿泊初体験に笑顔が咲き乱れる
船の真向かいのターミナルからトランペットのオーケストラに見送られて
別れの五色のテープ
ASUKAⅡのペルシャン・ナイトで司会
ダリアと平田進也さん
と謎のペルシャ人
三人のなにわ漫談でペルシャの歴史を語ってから
ペルシャ伝統楽器サントゥールの演奏が始まる
ペルシャン・ナイトのフィナーレでおどけた4人
左から:クラレの橋本保さん、平田進子ちゃん、プーリー・アナビアン
寺田一義さん(さきほどの謎のペルシャ人)
翌日は、別府の地獄めぐり。サントゥール奏者・河村真衣さんと地獄巡りをしてから縁起物の白い蛇を触ってきた。神聖なものとして写真は拒否された。触ってみて、蛇のくせにぬくかった。
ASUKAⅡの宿泊ルーム
水泳プール
船の船長と今年受賞したボジョレ・ヌーボでカンパイ
船長は最高責任者の貫録充分
神戸港に戻るときに船長が船のバルコニーで最後のお別れに手を振ってくれた。
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ホテル日航茨木:魅惑のペルシャ
2007年10月27日
薔薇で繋がるペルシャと茨木
ランチタイムスペシャル~魅惑のペルシャ
主催 ホテル日航茨木 大阪
会場 2階 宴会場
悠久の歴史の中に奏でるサントゥールの調べとペルシャ料理
出演者
ペルシャ・ナビゲーター
ダリア・アナビアン
ペルシャ伝統楽器・サントゥール奏者
プーリー・アナビアン
ペルシャ伝統楽器・サントゥール奏者
河村真衣
スペシャルゲスト
ダルビッシュセファット・ファルサ
(ダルビッシュ有投手の父)
神秘的な楽器の調べに心癒されるつかの間の小旅行
曲名「ダルビッシュ」
コンサートの後は、本格的ペルシャ料理を味わっていただいた。
中世ヨーロッパやインドに影響を与えたペルシャ料理は、アラビア宮廷では芸術とまで言われ、今でも食べ継がれているこの料理は、日本では殆ど知られず、かなり食通の人でもまだ経験したことのない味。
メニュー
キャバーブ・クビデ (ミンチ肉の焼き物)
「キャバブ」は、世界中に広がり、コスモポリタンな言葉となっている。キャバブの下ごしらえと料理方法は、通常のバーベキューと違って、 香辛料、玉葱、にんにく、カーダモンが隠し味として使われている。
スッペ・ジョウ (麦・トマト・人参、ハーブのスープ)
メソポタミアの川の辺からイラン高原の住民が輸入した麦は、5000年間食べ継がれている。
ゴルメサブズィ (ほうれん草・パセリ・ニラの煮込み)
日本では彩りに使われるパセリがメイン舞台へと活躍の場を広げる代表的煮込み料理。
マスト・ヒヤール (胡瓜のヨーグルト和え ミント風味)
イランではヨーグルトはデザートに食べる習慣がなく、料理の種類が豊富で塩味で楽しむ。
カルダモン・チャイ
デザートは、ダリア・スペシャル「ペルシャの四季」
ペルシャの四季を表す4色ブラマンジェ。上の層から説明すると、サフランは、春のさんさんと輝く太陽。カカオは、秋のチョコレート色の街の並木。バニラは、 シャーベットのように冬の山脈をすっぽり包む雪。ミントは、ペルシャブルーの透き通った夏の空。イランは砂漠の国とイメージされる方が多いので、このデ ザートは、ペルシャの四季を示す。魅惑のペルシャの入り口へどうぞ。
また地理的変化に富んでいるため、紅葉と雪山を同時に鑑賞でき、
プールで泳いで、一時間車で山へ走ればスキーができる。一日のうちに四季が味わえる。このデザートもワンシーズンごとに味わえるし、フォー・シーズンを一度に楽しめることもできる。
ホテル日航茨木 大阪で常時販売されているのでお味見どうぞ。
ランチの後のお話 ペルシャと茨木を繋げる薔薇。
最 古の薔薇の栽培は、ペルシャであり、2500年前の世界で最初の帝国、ペルシャで薔薇の香がもてはやされ、春の神殿で催された新年会で、日本でいうみそぎ のように、薔薇水を撒いていた。10世紀のペルシャ黄金時代には、文化と科学が栄え、薔薇の栽培と抽出方法が非常に盛んになった。ペルシャの有名な医学者 アビセンナによって研究された蒸留方法で確立された精油が現在、全世界に広まっている。またこの時代には、たくさんの文学者や詩人が薔薇の詩を謳った。砂 漠に囲まれている薔薇のオアシス、シラーズにある「エラムガーデン」は今でも観光客の人気の的。エラムは楽園という意味で、その名にふさわしく薔薇を中心 に花々が咲き乱れる名所。ここには私の子供時代の薔薇色の思い出でもある。薔薇の都、シラーズには詩人の記念廟がたくさんあり、彼らの謳った詩歌がタイル の壁に刻まれ、人々の心にも刻まれている。詩は音楽とも密接な関係があり、リズムを付けて歌う。読み書きできない人でも歌詞を暗記し、古代からの伝統で、 日常会話に引用されるほど、親しまれている。数ある詩人のなかで、ハーフェーズのメッセージを紹介。
故郷のシラーズでは、どんな想いもどんな話しも、
風に散ってしまうのだから、
天空のみ目指して舞い上がっていこう。
優しい春風よ、僕が砂になったら天に吹き上げておくれ。
そうしたら、僕は天使たちに出会うだろう。
イ ラン人が世渡りするときいちばん支えにしているのが詩人の言葉。この時代に謳われた詩は、今でもすべてのイラン人の魂の奥底に刻まれている。今のイランの イスラムのイメージは、表面的なことに過ぎず、イラン人の心はポエム。現代のイラン映画のメッセージであろうと、ペルシャ絨毯の模様であろうと、あらゆる 分野で詩が讃えられ、根底にあるのはポエム。
こ のイベントのお開きのデザートはダルビッシュさんのお話。実は「ダルビッシュ」もペルシャの文学に頻繁に登場する名前。パリの国立図書館に保存されている もっとも古い14世紀版の「千夜一夜物語」では、37夜にダルビッシュという男が登場する。40夜には2番目のダルビッシュ53夜には3番目のダルビッ シュが登場し、合計3人のダルビッシュが登場。この人たちは、みんな王子さまや大臣の子供で、みんなしっかりした教育を受け、豊かに育つが、予想外の不運 が訪れ、砂漠の砂嵐が襲うスピードで思いがけない土地へ吹き飛ばされ、故郷を去らなければならない。一瞬に過去が消え、新たな世界へと放り出される。ダル ビッシュたちは、知り合いも誰もいない世界へ置き去られる。
今日のスペシャル・ゲストはダル ビッシ4世・・・ダルビッシュセファット・ファルサさんも遠いイランから千夜一夜物語のダルビッシュたちのように文化も言語も違う日本まで渡ってきた。彼 は数少ないペルシャ文化の伝道師である。ダルビッシュさん曰く、シルクロードというとみんな過去のことを想像されるが、本当は今も生き続けている。華やか なペルシャ絨毯や薔薇の香や詩の心を運んでくるイラン人が現代シルクロードを延長している。そんなダルビッシュさんのメッセージを新鮮に感じた。
と ころで、ペルシャ語で「ダルビッシュ」は、深い意味を持ち、文学やポエムによく通じていて、物に執着がなく、椅子すら望まない砂の上に生きる人のことをい う。たんに質素倹約に生きるのではなく知的で、音楽、数学、幾何学、芸術などにも精通した人。ペルシャ語の諺で「りんごの木に果実が多く実るほど枝がたわ む」というが、ダルビッシュは正にそんな意味。
イ ベントの帰りの和やかな集い。ホテル日航茨木 大阪で「魅惑のペルシャ」のイベントの一端として3日間、ダルビッシュさんの展示会が披露された。青い看板 はペルシャの薔薇水の抽出過程が書かれている。ダルビッシュさんの一押しのペルシャの薔薇の香水も販売されている。ペルシャが原産と言われる「ダマスク ローズ」(野薔薇)から抽出したローズエッセンスの香に包まれた。
こ の日にプロ野球の日本シリーズが始まった。北海道日本ハム対名古屋中日ドラゴンズの第一戦にダルビッシュさんの息子さんの有さんが完投勝利した。ディリー スポーツ新聞には、父のダルビッシュさんは「何故北海道まで大事な試合に駆けつけなかったのか」とインタービューを受けた。ダルビッシュさんは「ホテル日 航茨木で日本とイランを結ぶ文化交流の大事な催しがあった」との答え。この日は、アナビアン母娘との文化的イベンドがあったので試合に行けなかったのだ。
SPECIAL THANKS ホテル日航茨木 社長・杉浦康夫さん、総支配人・嶋村卓也さん、企画部長・勝浦司さん、総料理長・前田五月さん、ペーストリー シェフ・才木幸次さん、企画&マネージャー・森脇隆さん、日本旅行カリスマ添乗員・平田進也さん
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千葉県柏市:幻の響がつなぐ日本とペルシャ
2007年 9月24~25日
幻の響がつなぐ日本とペルシャ
於 アミューゼ柏 市民プラザ
主催 近藤朱鳳作品展実行委員会
後援 柏市教育委員会
近藤朱鳳先生の古代から受け継がれた天慶流の書・ペルシャの書・音楽・文化のお話、そしてクリスタルボールから出る音との共演。
プーリー・アナビアンのサントゥール演奏にのって絹織物に筆を躍らせる朱鳳先生。
右上: 白い絨毯に座っているのはクリスタルボールをサントゥールの音階に合わせて奏でている遠藤敬子さん。
出来上がった絹の着物を見て、びっくり。
プーリー・アナビアンが驚いているのは、朱鳳先生が即興で書かれたペルシャの民話。国歌よりも心に近いペルシャ民話ペスト1のエッセンスを日本語で着物に書かれました。イラン人が国土に対する気持を表した詩の一端。
山脈の石は煌く宝石
砂漠の砂は輝く金粉
大地は文明のゆりかご
永遠に栄えますように
朱鳳先生の書とペルシャ書で同じ言葉を書いた。
朱鳳先生の書をクローズアップ
会場での展示:左側:ペルシャ書道
アンコールには、三人揃って、サントゥール演奏、クリスタルボールの音にのって朱鳳先生が筆を朱色の帯に走らせました。
紙も着物も帯に書き尽くしたのでアンコールには、朱鳳先生は自ら着ている着物全体に書を書いたダイナミックなパホーマンスだった。そのときの様子が詳しく遠藤敬子さんのブログに描写されているのでこちらクリックとこちらもクリックしてみて!
ちょっとここらで最後の一服にダリア・アナビアン・ナイト版の白馬の王子さまのお話。1000年前の黄金時代のペルシャの物語にもクリスタルボール(水晶の玉)が登場する。
当時のペルシャの領土で繁栄を極めていた街、バクダットで占い師がミントの紅茶を飲んでいたら、水晶の玉からメッセージが現れた。「幸せは自分の手で掴み取るものだ」
バ クダットの泥棒は、何を見てもすぐにほしがり、必要のないものまで盗みたくなる。ある時、泥棒は魔法使いに出会い、縄を買いたいと交渉した。でも、魔法使 いは縄を売りたくないときっぱり断った。バクダットの泥棒は我慢ができなく、魔法使いがお祈りしている最中、その縄を盗み、モスクに逃げ込んだ。 モスク のなかで坊主が「幸せは自分の手で掴み取るものだ」とお説教をしていた。バクダットの泥棒は、ふふっと笑った。
バクダットの泥棒は、魔法 の縄を使ってお城に入り込んだ。モスクで聞いたお説教を思い出して、素晴らしい宝石を手に入れた。お城から出ようとすると、宝石よりも美しいヤスミン姫に 目がとまった。その瞬間、魅了され、我を忘れて立ち止まった。そこへ召使いがやってきて、泥棒を捕まえようとしたが、バクダットの泥棒は、テーブルをひっ くり返し、窓から飛び降りた。
あくる日、ヤスミン姫を忘れられず泥棒は、王子の格好をしてお城に潜り込んだ。
しかし、そこには、 他にもたくさんの王子たちが宴会をしていた。モンゴル王子、インド王子、ペルシャ王子が招かれていた。お城の水晶占い師が、中庭の薔薇を最初に摘んだ人が ヤスミン姫の婚約者になると占った。泥棒王子は、それを知らずに薔薇の木の下に立ち止まり、ふと薔薇を掴んだ。するとそのとき、召使いに見つけられ「あの 人は泥棒だ!」と叫ばれた。泥棒王子は、鞭打ち刑を受けるために町へ引き出された。
ヤスミン姫は、次はバクダットでいちばん素敵なプレゼントを持ってきた人と結婚すると条件を出した。一方、お姫様は薔薇の木の下に立ち止まり、花を摘んだ運命の人が気にかかっていた。純真無垢なお姫様は、泥棒王子に会うことを願い、とうとう病気になってしまった。
バ クダットの泥棒王子は命からがら逃げ、秘密の出口からまたお城に入り込み、ヤスミン姫に「貴女の愛が私の過ちを気付かせた」と告げた。泥棒王子は、占い師 を尋ね、あったことをすべて話した。占い師は、水晶の玉を見て、答えを出した。「幸せは自分の手で掴め」と言い、魔法の箱のある場所を告げた。
お 城では、王子たちは、それぞれヤスミン姫に素敵なプレゼントを持ってきた。モンゴル王子は不老長寿の薬、インド王子は全てを見渡す水晶。ペルシャ王子は、 どこへでも飛んでいける空飛ぶ絨毯。バクダットの泥棒王子は、魔法の箱。そこには、誰にでも化けられる粉が入っていた。
ペルシャ王子の空 飛ぶ絨毯に乗ってヤスミン姫にモンゴル王子の不老長寿の薬を届けなければならない。しかし、ペルシャ王子の空飛ぶ絨毯か、モンゴル王子の不老長寿の薬か、 プレゼントは一つしか選ぶことが許されなかった。両方そろわなければお姫様の命は、救われない。どうそればよいのか、王子たちが言い合っている間に、モン ゴル王子がバクダットを占領してしまった。バクダットの泥棒王子は、変身術の粉を使って、黄金の服に身を包んだ白馬に乗って到着。モンゴルの軍隊をやっつ けて、バクダットの民を救った。コンテストの勝利宣言をし、ペルシャ王子の空飛ぶ絨毯とヤスミン姫を盗み、夕日の彼方へ消えていった。
ここで物語は、ハッピー・エンドで終わるはずだけど、水晶玉の占いに振り回されていく。インド王子が二人の居場所を水晶の玉のなかで見つけてしまった。そして、水晶の玉からメッセージが現れた。「幸せは自分の手で掴み取るものだ」・・・
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おもしろペルシャ
なにわのカリスマ添乗員平田進也さんとダリアがお届けする
古代ペルシャ7000年前~現代までの旅
おもしろペルシャの昼食会
会場:心斎橋クロスホテル(旧ホリディー南海)3階
主催:日本旅行
キャスト:平田進也、ダリア、リリアン
凸凹トリオでおもしろペルシャトーク
おもしろペルシャの会は、サプライズ・ゲスト
プーリー・アナビアンのサントゥール演奏で始まった。
ランチメニューは、お茄子とトマトの煮込み料理、すっと爽やかヨーグルトサラダ、女性の美肌に利く薔薇のデザートとカルダモンチャイ。
おもしろペルシャ 07/09/17
好評につき第2回目のおもしろペルシャの昼食会
会場:心斎橋クロスホテル(旧ホリディー南海)3階
主催:日本旅行
平 田さんに出会ったきっかけは、関西空港の第2滑走路の完成記念のイベントで、私はパネリストとして彼の横に座るめぐり合わせだった。平田さんは、カリスマ 添乗員として、どんな無理な客さんの要望でも決して「ノー」と言わない。彼のポリシーは、ペルシャ商人そのものだと親しみを感じ、お出会いしてすぐに手紙 を出した。イランでは、人からものを頼まれると絶対に「ハイ」と答えるのが伝統。頼まれて断るのは文化人じゃないという精神がある。平田さんはオーロラを 見に行くツアーで、天候の具合からオーロラが出なくても、お客さんに対しては「ハイ!オーロラを出します」という勢いで日本一の添乗員になった。
こんなことが私たちのおもしろペルシャ漫談の始まり。
お もしろペルシャの会に、2人のペルシャ人も参加した。上真中のハミ・エサキ氏は私の友人。帝塚山でパジリクという絨毯ギャラリーを経営しているなにわのペ ルシャ商人。もう一人のペルシャ人は、ダルビッシュ・ファルサ氏。北海道日本ハム球団で有名なダルビッシュ有君のパパ(右下)で芦屋のペルシャ商人。ダル ビッシュギャラリーを経営している。
ラ ンチメニューは、甘酸っぱい林檎シチュー、黄金のサフランライス、ミント風味のさいころサラダ、ペルシャの三色ブラマンジェ、カルダモンチャイ、イランか ら直輸入「ギャズ」というキャラメル。木の樹液にピスタチオと薔薇水を混ぜたもの。始めて味った方は、昔、日本にあった懐かしの味と言ってた。
ランチの後のおまけツアー:大阪歴史博物館のペルシャ文明展でみんなじっくりペルシャの至宝を見に行った。
平田進也ファンのとっておきのペッピンさんたち。実は、私たちは、顔を合わす前から、平田進也氏のブログでお友達になり、めちゃくちゃ盛り上がった。よかったら覗いてみて。http://blog.hiratashinya.com
おもしろペルシャの打ち上げ会。鶴橋で「串八珍」という名前の店、げてもんが好きな方におすすめ。
一日の疲れで、みんなのワイワイが耳にも入らず居眠りしている人。
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