2008年7月21日月曜日

ペルシャ伝統音楽隊カラヴァーン

ペルシャ伝統音楽隊カラヴァーン

日本とイランの文化交流を進めるコーディネーター、 プーリー・アナビアン(左端の女性)。関西地方でもっとも長くペルシャ文化の橋渡しをしています。今年の夏は、イランからペルシャ伝統音楽隊”カラヴァー ン”を招き、近畿地方の最南端から最北の地まで、日本初の打楽器中心の音楽隊を組んでペルシャの鼓動を響かせました。遥かシルクロードの彼方から6人の彦 星が天の川を渡り、何種類もの太鼓の律動を響かせ、紳士淑女をどんな迷路に誘いこんだでしょう?

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ペルシャ伝統音楽隊”カラヴァーン”のメンバーが全員集合。大坂のハードロックカフェで野性の血が騒ぎ、関西各地のコンサート・ツアーに燃え立っている一同。

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7月19日、ツアーの皮切りは、大阪心斎橋にこの夏オープンしてほやほやペルシャ料理店、ラ・ペルセにて。4人の彦星が奏でる何種類もの太鼓の響きに酩酊・・・・。

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ペルシャ音楽は、詩歌でリズムをとる。
詩歌のボーカリスト、バーラム・サーランギさん(左端)。日本・ペルシャの文化交流でイランから来日して、今回で42回目。
葦笛奏者、アラシ・ファラさんは、初来日。
サントゥール奏者、日本在住のプーリー・アナビアンは、この企画の立役者として裏方でも表舞台でも大活躍。
サントゥール奏者、河村真衣さんはプーリー・アナビアンのパートナーとして9年間活躍。
トンバク奏者、シアマキ・バナイさんは、太鼓演奏のコンサートマスター。

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ラ・ペルセのディナー・ショーでペルシャ料理の数々を前にして、太鼓の響きに満喫。

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7 月21日、 奈良のいかるがホールにて「ペルシャの鼓動、スペシャル・コンサート」を披露しました。飛鳥時代に日本とペルシャが文化的交流が盛んだったよ うに、今も地下水の流れのように続けています。昔からペルシャと斑鳩は赤い糸で結ばれていたのでしょう。622年、聖徳太子が亡くなった時、奥さんが死を 悼んで作った「天竺国曼荼羅」の下絵はペルシャ人が描いたと言われています。当時の日本は仏教伝来の前夜で、まだ地獄も極楽もない時代でした。その頃に後 の極楽を表す刺繍のデザインを斑鳩で描いたんです。斑鳩とペルシャの歴史的なご縁を感じます。

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主催してくださったいかるがホールの館長・斑鳩町長ご夫妻の大きな応援をいただき、盛大な演奏会を開くことができました。

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ペルシャ太鼓の鼓動に吸い寄せられ、会場は満席。

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ステージは、青いモスクの塔を象った。

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フィナーレは、がらりとムードを変え、バーラムさんの度肝を抜く声量とプーリー・アナビアンのピアノでイラン北部アゼルバイジャン地方の民謡を謳い上げた。

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いかるがホールの打ち上げパーティで、大勢の参加者が食事をともにコンサートの余韻を味わった。

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カラヴァーン音楽隊が打ち上げに、国歌よりも心に近いペルシャ民歌を謳った。

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奈良薬師寺のファースト・レディー安田順恵さん(左端)
いかるがホールの館長(左から三人目)

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7月22日、和歌山県、串本町文化センターへバスで出発。

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車内にて、後でVサインをされている方は、和歌山のイベントのために串本とペルシャの仲人をされた日航ホテル茨木大阪の杉浦社長。

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串本では町長、自らのお出迎え。
町長にトンバクの実演説明するペルシャ太鼓のコンサートマスター
シアマキ・バナイさん(前)

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串 本とイランの北部は、従兄弟同士のような町です。この二つの地方は、国際的なラムサール条約で結ばれています。ラムサールとは、カスピ海湖畔の町、ここで 1971年に水鳥が住みやすい湿地帯とサンゴ礁や地下水系の保護に力を尽くすために、条約が制定されているのです。今回は、初めて文化交流で繋がりまし た。

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串本の海はペルシャブルーで、水平線も丸く見えます。

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7月24日、大阪住吉人権文化センターで客席の後からダフのリズムを刻みながら登場。

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ペルシャ太鼓、”トントンバクバク”と叩くトンバクのソロ。
ペルシャ太鼓の名はその音色に由来する。

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トンバクは、ペルシャの大地で3000年前から叩かれている。10本の指先を自在に操り、手のひらや指輪を使って無数の音を紡ぎ出すスタイルは、100年前に洗練された。

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ペルシャ伝統音楽隊、カラヴァーンのコーディネーター
関西のペルシャ母娘、ダリア&プーリー・アナビアン

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イランが文化の窓口を閉ざしている今、糸を手繰り寄せるように、各地でペルシャの演奏会を開いている。

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7月25日、伊丹アイフォニックホールの地球シリーズ・コンサート、
「トンバク競演」を披露した。

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ペルシャ物産紹介は、プーリー・アナビアン著の
「ペルシャ語の会話」の本、彼女のサントゥールのCDと
ペルシャをイメージしたプリザーブドの薔薇を展示した。

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伊丹アイフォニック・ホールの舞台
「ペルシャの鼓動」という曲を演奏。

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7月26日 美しい三方五湖を見渡した水月花のロビーで演奏。
この町もラムサール条約の縁で結びついている。イランのラムサールは一見、福井県の若狭町と見まちがえるほど温泉あり、湿原、山と海あり、その風土は驚くほど似ている。自然観光保護で繋がっている若狭とラムサールは、初めて音楽で繋がった。

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7月27日、日航茨木大阪でカラヴァーン音楽隊の最後の演奏会。
プーリー・アナビアンと河村真衣さんによる
サントゥール・デュエットでオープニング

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ダリア・アナビアンによるペルシャ宮廷音楽のドラマをスライドで紹介。

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スペシャルゲスト
ダルビッ・シュセファット・ファルサさん
(ダルビッシュ有投手の父)による
スペシャルトーク。
メディアが報道しない知られざるイランを幅広く語ってくださった。


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ペルシャ打楽器の最後のコンサートは、日航茨木大阪で
太鼓判の出来映えで締めくくりました。

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ペルシャ伝統音楽カラヴァーン隊が今回の音楽ツアーで演奏された曲と音楽大使たちの名前

「ペルシャの鼓動」 イスファハーン旋法
 4人の奏者が打楽器 トンバク、ダフ、ダーイレ、クーゼ、駱駝のベルを相互に演奏
       スィヤーマッキ・バナーイ     
      イラジ・シャーロフ・シャーヒー  
         アミール・アシュティアニ     
        バーバッキ・バニホセイニ     


「イスファハーンの満月」イスファハーン旋法)
 サントゥール デュエット
    1st  サントウール   プーリー・アナビアン
    2nd   サントウール  河村真衣

「葦笛の囁き」イスファハーン旋法
 ネイ       アラシ・ファラー 
 ボーカル   バーラム・サーランギ 

「銀の月」イスファハーン旋法
 全員、全楽器
    1st  サントウール   プーリー・アナビアン
    2nd   サントウール  河村真衣
    ボーカル、セタール   バーラム・サーランギ 
    ネイ        アラシ・ファラー 
    トンバク      スィヤーマッキ・バナーイ     
    トンバク       イラジ・シャーロフ・シャーヒー   
    ダフ            アミール・アシュティアニ     
    ダフ           バーバッキ・バニホセイニ            

「甦り」ラージェ旋法
 サントゥルソロ
   サントウール  河村真衣
   トンバク 助演者 スィヤーマッキ・バナーイ 

「天の川に佇む胡姫」ラージェ旋法
 全楽器を従えて独唱 バーラム・サーランギ

「鳴滝」モハレフ旋法
 ネイ        アラシ・ファラー 
 トンバク 助演者 スィヤーマッキ・バナーイ 
    
「イランの夜明け」シューシャ旋法
 サントゥルソロ
  サントウール  プーリー・アナビアン
  トンバク 助演者 スィヤーマッキ・バナーイ 

「白磁の中華美女」イスファハーン旋法
 全楽器を従えて独唱 バーラム・サーランギ

「イラン・アゼルバイジャンの民謡・慈愛」
  ボーカル バーラム・サーランギ
  ピアノ プーリー・アナビアン
 


ホテル日航大阪茨木・お箸の使い方教室

お箸の使い方教室
2008年 3月30日
場所:ホテル日航大阪 茨木
主催:ホテル日航茨木大阪 協力:福井県

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上 手に箸を使って日本食を食べることが欧米で自慢とされている今、日本人の箸の使い方が7割も乱れているのはショッキングです。日本の文化が世界でどんどん 有名になっていくにつれ、ますます箸使いの重要性を感じつつ、有名なお箸の老舗(株)兵左衛門樽谷先生は日本各地で、意外と知られていない箸のことをもっ と広く皆さんに伝えるために日本各地で教室を開催する箸の伝道士として活躍しています。

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私 は、普段ペルシャ文化伝道士として関西を中心に日本各地で知られざるイランの文化を伝えているけれど、このイベントでは日本文化を日本で伝えるダリアに変 身しました。お箸の正しい使い方の大切さを痛感しています。外人が日本人に日本文化を伝える、もうこんな時代が来ています。日本人が当たり前と思っている ことは、私たちよよそものから見ると、なんて凄まじいイスピードで日本文化が春霞)の彼方へと消えていくのでしょうと不思議に思います。
このイベントで樽谷先生は、絶妙な間合いでお箸のことをお話してくださいました。日本の食文化の特徴はお箸が一膳あれば、前菜、お口直し、デザートすべてを 賄います。味見、解す、焼いたものをひっくりかえすなど、食事だけではなく、実にいろんな使い方があります。まず、漆塗りの本物のお箸を使うことから始め るように樽谷先生が勧められました。みなさまが買っている箸で、口に入れると体に悪いものが結構たくさん売られていることを見分けましょう。ペンキを舐め ているような危ないお箸は、髪飾りに応用できます。お箸で物を食べると落ちないようにお箸で髪の毛を巻き上げると便利です。これがダリア流の髪飾り、写真 でちらっと見えるように。

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外 国人は日本人がお箸で上手に食事をするのを見て、憧れるのです。世界中に日本ブームが起こっています。私は中東に里帰りをしたとき、知り合いから、噂によ ると中国に住んでる人?と聞かれて、いや、違う日本に住んでると答えたら、いきなり態度が変わったんです。日本?すごい!漫画は欧米と中東でよく見られて います。もちろん寿司も大人気。胡麻や天粕のトッピングもなかなか香ばしいです。お箸の使い方でも、日本人と外国人でどっちが上手でしょうか。
私 は、どうやってお箸の使い方を覚えたのか聞かれますが、それはまるで、どうやってそんなに転ばないで上手に歩けるのと聞かれるのと同じことです。日本の家 庭に育って親に習った覚えもありません。うちでは、ペルシャ料理なのでお米は細長いインディカ米で、粘りがなく、ダイエットには向いているけれど、お箸に は向いてません。私から言えるのは、親から教えてもらわなくてもお箸使いは、ごく自然なことのはずです。箸使いの運動を起こさなくては!
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私 が小さいときに父から聞いたお聖書の小話です。天国では、長いスプーンしか与えられません。そのスプーンは長すぎて、2メーターぐらいあって口に食べ物を 持っていくのが大変。なんの役にもたたないスプーンです。一体どうしたら、このスプーンで食事ができるのでしょう。2メーターのスプーンです。ところが、 このスプーンに素晴らしい使い方があるのです。お互いが相手の口に運べば、なんなく解決ができ、持ちつ持たれつの心まで学べます。日本でもまったく同じお 話を奈良東大時の管長から聞きました。仏教でも極楽で、みんなは長いお箸でご飯を食べなければなりません。その箸は、八尺もあります。2メーター半です。 2メーターの箸でどうやって口に運びますか。聖書の小話とまったく同じです。向き合ってお互いの口に運んだら、いけるでしょう。

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両方の違いを知りましょう
今 の日本は、西欧文化も日本文化並みに学ばなければなりません。たとえば、アメリカでアルファベットスープがあります。子供たちは、スープを飲みながら字を 覚えるのです。スープのなかにAからZまでの形になった麺が入っています。私もこれをよく飲みました。スプーンでスープを飲むときは音をたてずに静かに飲 みます。日本のうどんやそばは、音を立てなかったら美味しくないと言っているのと同じです。今の日本の子供たちは西洋文化と日本文化の間で育っています。 両方の文化を使い別けていかなければなりません。それぞれの文化によって挨拶ひとつでも違うのです。日本人に逢ったときは、お辞儀をし、アメリカ人に逢っ たときは握手をし、ラテン系や中東の人に逢ったときは、ほっぺにキスをします。それが礼儀ですよ。
日 本では、食事の前に「いただきます」と言って天地の恵みと作ってくれた人に対する感謝の気持を表しますと樽谷先生が話してくださいました。ペルシャでは、 相手にどうぞと持て成すための挨拶です。フランス語と英語にもありますが食べる前に「いただきます」という変わりに相手にBON APPETITEと言っ て食事をすすめます。ペルシャでは、食後の「ごちそうさま」の挨拶は、相手の手作りに対する労わりの言葉があります。「アナタの器用で繊細な手が痛まない ように」という言い回しがあるのです。やはり、手の温もりに対する気持は洋の東西を問わず、同じです。

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私 は子供のときの70年代の日本と今の日本がすっかり変わってしまったことを感じます。道で物を食べる、電車でお化粧をする、おへそを出して歩くのを見ると 竜宮城から帰ってきた浦島太郎の気持になります。お箸を上手に使いこなし、英語も箸並みに学べば、夢の橋を架けることができるでしょう。

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2008年前期の足跡 友人の武田精さん(真中)

4月5日の同窓会に招かれて
ペルシャ古典楽器サントゥール演奏とお話
を京都の東山ホテルりょうぜんで行いました。

 
 
Santour Concert and Lecture on Persian carpet
at HAKUTSURU FINE ART MUSEUM
at Kobe city

白鶴美術館春季展で「ペルシャクラシックの魅力」
の演奏と「絨毯が紡ぎ出すペルシャの四季」の講演
2008年5月18日

 
 
 
 
 
 
シルクロードの大家・三杉隆敏先生と
アナビアン家は40年以上のお付き合い。

 
 
On a mission for a Persian-culture-crusade at Osaka-Umeda
Rotary Club
Dalia Anavian (right)

大阪梅田東ロータリークラブ でゲスト出演
2008年5月30日 



Concert and Lecture for the 27th Anniversary
of Pouri Anavian's santour class
at Osaka College of Music
Pouri Anavian (second to the left top row)
and her new students

レクチャー・コンサート&ペルシャ料理

大阪音楽大学でプーリー・アナビアンの
サントゥール教室が27年目を迎え
2008年6月19日にプーリー・アナビアンと
音大卒の河村真衣のサントゥール演奏、
ダリア・アナビアンのペルシャ文化の
スライドーショーの一刻を教室で過ごした。

音楽で運ぶペルシャの風~

サントゥール演奏とシルクロード・スライド・ショー
2008年 3月6日
大阪港区市民センター
主催 港区コミュニティ協会

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レクチャー・コンサートが終わり、ペルシャ文化伝達母娘
左側:プーリー&右側:ダリアの真中に挟まれている中野享功さん、いつも出席と応援をありがとう。

悠久の地 ペルシャより~サントゥールの調べと語り
2008年 3月10日
演奏 プーリー・アナビアン(大阪音楽大学講師)
   河村 真衣 (サントゥール奏者)
スライドとお話 ダリア・アナビアン(ペルシャ語法廷通訳)
会場 リーガロイヤルホテル「ダイヤモンドルーム」

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古 代ペルシャから伝わるイランの伝統楽器「サントゥール」は、台形の共鳴箱に張った72本の弦を細いバチで打ち鳴らします。ペルシャ伝統音楽の旋律は、実は 曲名がなく、旋法と作曲家の名前が付いているのです。 演奏が終わると「曲名はなんだったのかしら?」と聞かれた方々がいましたが、今回演奏したのは、 チャハールガー旋法、パイヴァール氏の作曲、プーリー・アナビアンの編曲でした。近代の音楽のように曲名がないために、ペルシャ音楽の持つ広範囲な音階が 限定されず、聴く側に自由な発想を掻き立てるのです。

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ペルシャ8000年の歴史を紐解くダリア

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ペ ルシャ文化が黄昏のなかに沈みそうな今、中東情勢が緊迫しイメージが薄れるイランでも、ペルシャ音楽を拝聴しに、会場はいつもの二倍の観客。かつてシルク ロードで結ばれていた日本とイランはまだ縁の糸が切れていない証です。日本在住36年のサントゥール奏者・プーリー・アナビアンが「愛と平和の響き」を奏 でました。

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レ クチャー・コンサートが終わって。最左翼:西垣敬子さん、命がけで戦場のアフガニスタンの支援をしながら、国情を日本に伝える第一人者。最右翼ダリアの 隣、安田順恵さん 奈良薬師寺管長夫人・SIA、シルクロードの研究家として仏教遺跡に大いに力を尽くしています。今回、様々な個性的な方々が集まってく ださいました。

世界のキッチン&お話・ペルシャ偏
2008年3月13 ディナータイム:6:30~8:00pm
大阪港区市民センター
主催  (材)港区コミュニティ協会

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ご 存知ですか、桜んぼう、桃、ザクロのルーツを? それは、たくさんのオアシスに恵まれているイランです。甘酸っぱい果物が豊富で、デザート、煮込み料理な どに頻繁に使われます。テーブルに並んでいるのはおこげご飯とザクロの煮込み料理。初めてのペルシャ料理に期待を込めてみなさん笑顔を浮かべています。一 体どんな味なのでしょう。匂い消しに数種類の香辛料を使って、素材の味を生かすペルシャ料理 は、食べているうちにどんどん舌に馴染んでくる。他にもサイコロサラダ、茄子の煮込み料理、薔薇のアイスクリームと紅茶が出ました。1000円でペルシャ フルコース、歴史と文化のお話、そのうえ、お笑いまで添えて丸得。次回は、3月27日の6時半にアンコールをします。

世界のキッチン&お話・ペルシャ偏
2008年3月27日 ディナータイム:6:30~8:00pm
大阪港区市民センター
主催  (材)港区コミュニティ協会

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大 阪弁天町の有志たちと春に訪れるペルシャのお正月を祝いました。1000円の会費でお話にスライドショー、ワインに山盛りの料理・・・来られなかった方は 珍味を味わい損ねました。ペルシャのお正月料理のメニュー: 色んなハーブが入った七草ご飯、アフガニスタンではこのご飯をエメラルドピラフと名づけま す。これに添えて、オレンジとチキンの煮込み料理、おこげご飯、ヨーグルトサラダ、レンズ豆スープとサフランのういろう。不参加の人は大損しました!

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大阪音楽大学でサントゥール発表会

サントゥール発表会
2008年1月24日
大阪音楽大学・音楽博物館
プーリー・アナビアンのサントゥール教室で一年間修行してきた生徒一同の手作り発表会。

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司会:岩崎和音

プログラム

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「バヤテ トルク」  黒田知子

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「ラシード ハン」 末松めぐみ 大場美緒

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「シラーズの娘」 山村磨喜子

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「シャラーシュープ」 芳賀さやか 福岡佳奈

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「ナヴァ」 岩崎和音 山中直

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「ペルシャファンタジー」 ペルシャ古典的アンサンブル 
プーリー・アナビアン編曲 プーリー・アナビアン 河村真衣


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発表会の第二部:サントゥール教室でペルシャの音階を学ぶために、おたまじゃくしを追うばかりでなく、ビジュアルなペルシャをダリアのスライド・ショーで上映しました。

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モスクの形に仕上げたペルシャの青い薔薇のアーチで飾られたステージも手作り。

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出演者総勢の記念写真

Special Thanks 
ペルシャ・ブルーを彷彿させる舞台用のプリザーブド・ローズの装置を組み立ててくださったアジャスト社の社長、山本哲也さんに大きな感謝を捧げます。



東京ミッドタウン・ランドセルは海を越えて

2008年1月16日
第5回「ランドセルは海を越えて」2008キックオフイベント
会場:東京ミッドタウン B1F ガレリア・アトリウム 
主催: (財)ジョイセフ (社)日本かばん協会・ランドセル工業会 
後援: (株)クラレ 
実施運営: (株)デジタルライズ。

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「ラ ンドセルは海を越えて」とは小学校時代の想い出が詰まっているランドセルを物置や押入れから取り出して、世界で最も物資が不足している国のひとつであるア フガニスタンやモンゴルの子供たちにプレゼントする活動。使用済みのランドセルにノート・えんぴつ等の学用品を入れ、ランドセルの素材メーカー(株)クラ レが送料を負担してランドセルの募集を行い、物資が乏しい国の子供たちにプレゼントする。海外の活動は、年を重ねるごとに大きく進展し、2008年もこの 活動が継続。今年のイベントでは、プーリー&ダリア・アナビアン母娘が参加し、プーリー・アナビアンとパートナーの河村真衣氏によるペルシャ音楽 サン トゥール演奏をし、(株)クラレ/代表取締役社長 和久井康明氏、文部科学副大臣、(社)日本アフガニスタン協会理事長/松浪健四郎衆議院議員などの来賓 のご挨拶の後にダリアと写真家/内堀たけし 氏とアフガニスタンフォトディスカッションを行いました。

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右 側:写真家の内堀たけし氏が昨年治安の悪いアフガニスタンに渡航し、命がけで現地の模様を撮影。下の写真は、内堀氏の写真絵本「アフガニスタン勇気と笑 顔」出版元:国土社から掲載。この写真を日本の子供が見て「広島の原爆ドームみたいに壊れた建物があるんですね」感想を漏らしました。

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押入れに眠っているランドセルがあれば、募集の受付:ランドセルは海を越えて」ホームページhttp://www.omoide-randoseru.com/からアフガニスタンに送ることができます。

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アフガニスタンは250年前までは、ペルシャの一地方都市でした。今でも習慣、祭り、食べ物、言葉、文学、音楽など、なにからなにまで同じなので、私にとってアフガニスタンは、自分の故郷だと錯覚を起こすくらいです。
昔々、 シルクロードの発生の地、現代のイラン、アフガニスタン、パキスタンが含まれる高原地帯に大ペルシャが栄え、何千年単位の文明が続きました。アフガニスタ ンの歴史は、民族と言語のモザイクが発展しシルクロードの十字路で様々な部族社会が形成されていきました。この地域では、ペルシャ的な価値観から文学まで ふあーっとペルシャの魔法の吐息を 吹きかけられたのです。ペルシャとアフガニスタンの何千年の歴史からみると、イスラム教の歴史はつかの間です。今はそ のイメージだけが強く残り、それ以前のギリシャ、多神教、仏教、ヒンズー教などの痕跡は、砂漠に埋もれてしまったのです。そんなモザイク文化は今のアフガ ニスタンのヒンドゥーコシュ山脈からイランのシラーズまでの範囲で世界で始めての大帝国が栄えました。アーリア人の国ということで、イランという国名にな りました。もちろんアフガン人も、アーリア人です。アフガニスタンの民放テレビは、アリアナ放送といわれるし、航空会社もアリアナ航空と名づけているぐら いだから。2500年間、ペルシャとアフガニスタンは一つの国として栄え、今でいうロンドン、パリ、ニューヨークのようなところでした。

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しかし!時代はぐっと現代になりますが18世紀には、、たくさんの部族の太守のなかの一人がカンダハルを首都に定め、縄張り争いで野心を遂げようとしまし た。それぞれの王国の太守たちが権力争いの果てに東ペルシャを自分の国に割譲し、権力を広げようとしました。ペルシャの王がインドへ遠征の途中、暗殺さ れ、そのチャンスを逃さず、小さい太守たちの天下取りのドサクサにアフガニスタンが誕生しました。ペルシャとアフガニスタンの、何千年もの長いお付き合い が、とうとう生木を裂くように別れたのです。砂漠の熱より暑い恋物語。政治家の駆け引きで、離れ離れになったのです。ようある話ですね。みなさんも身に覚 えがあるでしょう。

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別れてもやはり、二つの国は一つ。昔は、中国と朝鮮半島を経てペルシャとアフガニスタン辺りから文化や産物がシルクロードから日本に伝わってきたのです。今は、逆に日本のランドセルが海を越えて、アフガン人の子供たちがランドセルを背負う習慣を覚えていっています。

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