外国人の観光ブームに沸く日本。イスラム圏からの来日客もウナギ昇り。
そこで企画されたのがイスラムに基づく食の立法「ハラール」の勉強会。
南海スイスホテルでもそんなお客さんを迎える準備を始めました。
まずは、ペルシャの調べから始めました。
打弦楽器サントゥール演奏者は(右)プーリー アナビアン
(左)内海 恵
内海恵が持っている台形の箱はサントゥール。72本の弦が張られ、1.5グラムのバチでたたき、その先にフェルトが付いている。
音楽が終わると、ダリア・アナビアンの関西弁の勉強会
最近は、日本が観光に力を入れて、イスラム圏のお客さんを迎えるようになりましたね。ちょっと前までは考えられなかったですね。イスラム圏の地域に共通しているのは、豚の変わりに羊、え?羊っていうたらちょっと匂いがあるんとちゃうかぁ?と思われるでしょうけど、。デパートで売っているような羊、確かに匂いありますねぇ?私も思います。しかし、私らの食べてる羊は、種類が違うんです。お尻に脂肪の塊があって、歩くときにプルンプルンというんです。それで今日はみなさんに本格的なプルンプルンなハラール料理をチャレンジしていただきたいのです。
最も辛口のお客さんが多い大阪。スイスホテルのシェフに電話がよくかかってくるらしい。
「今日のステーキ、ちょっとちゃうかったでぇー、どないしたん?質を落としたんちゃうかぁぁ?」みたいなお客さんに思い切ってペルシャの羊料理をだすことになった。
さぁー、みんな真剣に集まって「ダリアのペルシャ料理」の本からメニューを組むことになった。
初めての経験。びくびくしながら~。
ぜったいに美味しないとあかん。
デザートには、カルダモン、バラ水、ナツメヤシを入れたケーキ。
それを同じサイズに切らんと・・・
仕上げのデコレーション、ケーキは切ってから粉砂糖を振るのがよいとシェフに教えていただいた。
魅惑を引き出すための女性の化粧と同じ。
ケーキも綺麗になった。
カルダモンも薔薇水も初めての味をシェフに試食してもらった。
一味違うケーキだけど、意外に違和感がなかったって。
これは、ケーキではありません。「クク」と言います。サフランのポテトパンケーキです。
元大阪市長、平松邦夫も「クク」を味わってくださった。
メイン料理は、羊の鋳込み料理。あっという間に売れてしまった。
大阪の辛口のお客さんに「美味しい羊、足りへんやないかー」とついに怒られた。
もっと作ればよかった。また今度ね。
「ダリアのペルシャ料理」の本もいっぱい買ってくださった。
ダリアから直接買えば2000円のみで結構です。消費財はいただきません。
金色のペンでサイン会
ええ、イベントやったわぁぁ。
友人の田中みどりさんの住吉大社でのイベントに招待され「堺とペルシャ」について挨拶をさせていただいた。
ひょうきん美人のエンキさん、中国の琵琶演奏をされた。唐の時代にペルシャから入ってきた琵琶。その演奏はエネルギッシュで素晴らしかった。
さて、堺市とペルシャは何が関係あんねん?と思われるかもしれませんが、日本の歴史の教科書も覆すほどのお話があります。日本人もびっくりよ。
まずは、古事記には、日本が海外遠征に行くときに住吉神社の大神を連れていった神話がある。結果、えらいスピードで攻めていったので相手がびっくりして、戦争せずに外交交渉だけですんだ。相手さんは、騎馬民族の馬を毎年、大和朝廷向けに育て日本まで船で運んでくるようになった。馬とともに鉄の鍛冶屋も一緒に日本に来ることになった。
聖徳太子の時代になると、堺を中心に天皇系直結の荘園地が発展し、軍事産業も集積された。その技術で刀を作った。その技術で堺の包丁は日本一になった。
ほんで、ペルシャとの関係は?
ペルシャ語で騎馬民族をサカ人と呼んだ。彼らは、チーズやヨーグルトなどの乳製品、鉄の馬具や武器や鍋を使っていた民族だった。鉄を溶かす技術を持ち、陶器、レンガ、ガラス、織物を発展させた。貿易を中心に自由都市を作り、刀や包丁と包丁の技術も日本一と言われている都市、それは堺市である。スキタイのように鉄の技術を持った人たちが自由都市を作って堺と呼んだのは偶然なのか?
私は、堺の包丁でペルシャ料理を紹介している浪花のこてこてイラン人やサカイに、これからも応援してや。