2018年4月2日月曜日

イスラエルが70歳の誕生日を迎える

2018年中に行った「イスラエル国が70歳の誕生日を迎える」講演会の写真をずらっと掲載。

News on Iran and Israel that never reaches Japan  January 20th, 2018
HOST IBARAKI   INTERCULTURAL NETWORK  (IIN)
INTERNATIONAL FRIENDSHIP ASSOCIATION OF IBARAKI



「70歳の誕生日を迎えたイスラエル」
~小さな砂漠の国から技術大国へ
英語でスピーチして、主催側にはとても聴き応えのある内容だったと思いますとは、言ってくださいましたが、英語が早すぎて半分聞き取れなかった人の方が多かったようで、もっと聞きやすい関西弁に訳して、このページの終りに載せました。

2018年4月2日
会場 Conrad Osaka 39階 ミーティングルーム (小宴会所)
関西で二つの文明の狭間に生きるダリアが語る
「イラン人とイスラエル人は今、何を考えてまんねん」


元メディア関係の方々が多く、いろんな質問をしてくれましたわ。



2018年7月22日
神戸読売文化センターの教室でもイスラエルのお誕生日 ー 要するにイスラエルが建国して70年になる今をお話し、小学校の可愛い生徒さんも熱心に聞いてくれて、夏休みの宿題にイスラエルのことを書くことにしたと言ってくれました。


神戸NHK文化センター主催でも北野のアナビアン亭で何度も「イスラエル国が70歳を迎える」テーマで講演を行い、一般公開されていない関西ユダヤ教会も訪問しました。その時にユダヤの僧侶ラビーから特別演説をしていただきました。


シュムエル・ヴィシェディスキー Shmuel Vishedskyいうラビ(ユダヤ僧侶)は、イスラエルのネタニヤフ首相が来日すると同行する位の高い気さくなラビです。2011年の東日本大震災当時、イスラエルは救済に行きましょうか?と菅首相に申し出た。しかし、菅首相はパレスチナの顔色を窺ってか「結構です」と断った。ここまで聞くと、日本人が津波で家を失い、瓦礫のなかで生存者がいるかもしれない状況なのに菅首相は、政治的関係を重視したのは、けしからんと思った。テロに慣れているイスラエルは「救済のエキスパート」なので、政治より人の命を重視し、菅首相を無視して、即日本まで飛行機を飛ばし、飛行場でスペースを開けるように要請した。そして、実際にたくさんの命を救い、ニュースにも出て、日本はイスラエルとテクノロージーと製薬技術などで提携を結ぶようになった。あれから7年が経ち、イスラエルは既にアラブ諸国とも友好関係にある。



2018年12月19日と22日
神戸市おとな旅主催のイスラエル料理と共に祝う
「ハッピーハヌカ(光の祭)」


このイベントでは、ニューヨークに住んでいるマルカお祖母ちゃんが大阪まで遠路はるばる飛んで来てくれた。親子三代でイスラエル料理と共に祝う「ハッピーハヌカ(光の祭)」


 ハヌカ(光の祭)は、イスラエルの歴史的史実から生まれた「奇跡」を記念する。ハヌカ祭では毎晩、燭台(ハヌキア)の8本のキャンドルに一本ずつ火を灯していく。子供にとっては、日本のお正月を迎えるような楽しみ。


ダリアのイスラエルについての講演して、イスラエル料理をいただき、プーリー・アナビアンのアッシリア時代(4000年前)のペルシャ伝統楽器サントゥール演奏を聴き、最後は、何種類もの手作りスイーツで締めくくりました。和服で参加してくれたことがとても嬉しかった。

父はイスラエル、母はイランのダブル・ナショナリティー。ダリアが語るテーマは、マスメディアで取り上げられないイスラエルの歴史、食文化、祭典、日本とユダヤ、日本とペルシャ、また、イスラエルとイランの長い歴史の交流について伝えています。

コテコテの関西弁で語る講演内容は以下に纏めました。

日本の昭和の古きええ時代とイラン王国の古きええ時代に来日した。高度成長の日本から西アジア考古学の学者が発掘調査にイランに訪れていた。私の子供時代は、両国とも元気で文化交流が盛んだった。日本の考古学者や歴史家は、正倉院にあるようなペルシャの円形切込白瑠璃碗を探しにイラン北部のギラーンというところなどの遺跡に出かけた。日本の教科書に出てくる日本とペルシャの交流を代表する正倉院の御物と同じ型のワイングラスが大量に出てきた。ペルシャの色んな栄光の時代の出土品も出てきた。当時、祖父はパーレビ国王の美術顧問やったから、学者がラヒムおいじいちゃんの老舗を訪ね、ペルシャの古美術の勉強をした。世界中からテヘランに観光客が来る時代で、老舗の住所はイギリス大使館の向かいの「アナビアン250」として知られていた。日本の学者は、発掘でやっとこさ数点だけ苦労して発掘していたので「アナビアン250」を訪ねるとペルシャ文明の様々な時代の陶器が一度に見れたので、学者が自由に陶器を手にとって眺め、研修し、チャイをのみながら陶器談にふけられる楽しい遊園地みたいなところやった。学者の仲間うちでは、テヘランに行くと「アナビアン250」を訪ねる習慣になっていた。

そこで、日本史と関係が深いペルシャ文化財に日本人が興味を持つようになり、熱い気持で研究を重ね、その結果を出版してシルクロードブームを起こした。

イランを訪れる学者、小説家、ジャーナリストのなかに、百貨店の部長までが含まれた。「アナビアン250」が日本人の古美術コレクターのたまり場になっている光景をみて、ええ商売になると思いつき「大阪にもペルシャ古美術のギャラリーを開きまへんか?」と誘った。1974年に大阪で初めてのペルシャ古美術ギャラリーを開き、オープニングの際のリボンカットには、正倉院のペルシャ白瑠璃碗研究の第一人者、深井普司先生などのご来賓もいた。

アナビアン家が半世紀以上にわたって収集したペルシャの出土品を日本の主な博物館に収める他、上六のギャラリーでも古美術コレクターの客にもぎょうさん売れた。上六は、古代の難波宮から飛鳥・奈良に通じる最初にできた道、ちょうど「大道」の上にあった。

大道を通って、シルクロードのネットワークを握っていたユダヤ系ペルシャ人が1300年ほど前にも同じ道を通った。

奈良は、田圃、お寺、古墳、都の跡があり、百貨店がまだなかった。奈良のお客さんは、お買い物というと、近鉄電車、このシルクロード線に乗って上六まで出てこなあかんかってん。奈良のお客さんがようギャラリーに来てくれて溜まり場になった。奈良は、シルクロードの終着点でペルシャに縁があり、金持ちも多いし、奈良のペルシャ古美術コレクターができた。奈良のお客さんに古墳を見に連れてもらい、わたしらも、奈良のお客さんを古代ペルシャの遺跡を見に、イランまでご案内させてもらった。今では考えられへん。

1979年に起こったイスラム革命で、イランは独裁坊主政権になり、すべてが変わった。そこから世の中は次々とテロが氾濫。イスラム以前の古代ペルシャの歴史は改悪され、書き直され、消されてしまった。

イランは、テロ支援国家とされたことに反発し「アメリカに滅亡を!」と「イスラエルを地球上から抹殺!」という抗議を国会と寺院で唱え続けたお蔭さまで世界から孤立した。

日本の考古学者もイランでは発掘できなくなり、歴史や美術に対する本が出版されなくなった。イランのニュースも日本に届かなくなった。現在、私の親戚は、もうイランにはおらん、イスラエルとアメリカに移住した。

アナビアンギャラリーは、大阪で42年間、多くのご愛顧をいただいて2016年に閉店した。しかし、まだ倉庫には祖父が収集した約2000点もの美術品が残っている。次の世代がペルシャ文明の歴史遺産を鑑賞できるような場所を探すことが今の私のミッションである。

そうやって、店じまいし、国を失うと振り返って考えることがぎょうさんある。イラン国民がなぜパーレビ国王を追い出したか。西洋の新聞に煽られたから。イギリスのBBCペルシャ語放送は大きな罪。誰にも知られていなかった黒いターバンを頭に巻いたホメイニ氏にスポットを当てた。そう、ホメイニを有名にしたのはBBC放送。有名な話やけど、ホメイニは、イラン国民に電気と石油が無料になると約束した。イラン国民は欲がでたんやな。そんなおいしい話はないで。イランの敵は、国外だけやないで、国内にもいた。当時のロシア、ソビエトのスパイが新聞記者になって、テヘランタイムズにパーレビ国王の大きな実績を否定して悪いことばっかり書いた。そうやって、イラン国民は集団催眠術にかかって騙された。イギリスは、BBC放送を通し、ロシアは国内の新聞を通し、この二つのあくどいメディアがイランを独裁政権にもっていって、石油の値段を下げ、戦争を起こし、儲けた。作戦はうまいこといった。

ホメイニ氏は、以前にイランでシーア派のテロ運動をなんべんもし、パーレビ国王は、ホメイニ氏をイラクにほりこんだ。でもイラクでも同じようにシーア派のテロ運動をするから、イラクからも追い出された。そんなテロリストを保護したのはフランス。あんないけてないブサイクなターバンを巻いたテロ坊主が14年間もかっこいいパリで亡命した。なんでフランスはそんなテロリストを大切にしたか。ここもよう考えなあかんところ。1979年のイスラム革命で、ホメイニは、エアーフランスに乗ってテヘランに向かった。それまでソビエトに洗脳されてきた左翼系イラン人ジャーナリストがホメイニ氏にマイクを向けた。もっと他にマイクを向けなあかんところがあるのに、向けたのがこのホメイニやった。「故郷のイランに14年振りに戻り、どんな気持ですか」と聞いた。ホメイニは、答えた。「皆無」そう、故郷に対する気持は皆無。それが本音やな。ホメイニになんか愛国心があるわけない。ホメイニがテヘランに戻ると、それまでソビエトに洗脳されてきた共産主義者ジャーナリストがホメイニを応援してきた。共産主義者がインテリでかっこええと思てたんや。でも、利用されただけ。いざホメイニがテヘランにやってきたら、用済みになり次々と死刑になった。

最初の約束は、ホメイニがクムというイスラムの聖なる町に国の象徴として居座って、国の政治は共産主義者が担うはずやった。ソビエト共産主義者も利用されたし、イスラム原理主義のユートピアを夢見たイラン人も利用されたんや。BBC通りに計画が進んだ。

イランのえらい長話になってもうたけど、イスラエルの話もせなあかん。ほな、このへんで切り替えさせていただきます。日本に届かないイスラエルの情報もお届けしたいと思う。

聖書の国の祭典から戦争まで、私の家族を巡るドラマを語りながら、スライドでお見せ致します。

古くて新しい国
イスラエルは、古代の知恵と若いエネルギーを持った聖書とハイテクの国。聖書にはイスラエルの豊かさを表す「乳と蜜の流れる国」という表現が7回出てくる。それは聖書におけるパラダイスである。 イスラエルは、テクノロジースタートアップ国家として最新技術を使って聖書の楽園を蘇らせようとしている。

イスラエルは1948年に建国され、バビロニア時代から使ってきたユダヤの陰暦に基づいて、秋に新年を迎え(2017年~2018年)5779年になる。
2000年前にイスラエルがローマ帝国に負けて国がなくなった。ユダヤ人は、世界中に散らばり、その土地々でひどい迫害を受けた。国を持たなくてもユダヤの伝統、言語、教会を守り生き延びてきた唯一の民族。

100年ほど前に再びイスラエルを建国しようという運動が始まった。それをシオニズムという。シオンの丘、エルサレムに戻って故郷を再建するという意味。私の祖父は、イランの兵役を逃れるため、シオニストになり、何頭ものロバを乗り潰し、イラク、レバノンからイギリス委任統治領パレスチナへ到着した。そんなシオニスト運動がイギリスのユダヤ金融の大きな支援を受けて、1948年イスラエルが建国された。2000年間、迫害を受け、やっと国を持ったと思ったら今度は、建国以来パレスチナや周辺のアラブ諸国と戦争の連続。なのでミサイル技術は、世界一。そりゃー税金の半分以上が武器に使われるんやからね。戦争を戦いながらもどんどん他の分野でもハイテク技術を世界中に輸出している。

イスラエルとパレスチナの関係
私の 従兄はテルアビブのダウンタウンでジーンズのデザイナーをしていた。従業員には家族同然のパレスチナ人達もいたが、ガザ地区においてテロ組織であるハマスがパレスチナの政府になってしまったので、状況がかわり商売ができなくなった。約10年前、イスラエルはガザ地区をパレスチナへ返したことで、ガザ地区はテロリストの本拠地となった。その後ガザ地区から、1万発ものミサイルを撃ち込んできた。イスラム教のテロリストを支援しているのが独裁主義政権イラン・イスラム共和国。

2014年に祖母が亡くなり、お葬式のため、パレスチナと紛争中のイスラエルへ帰った。イスラエルのお通夜は一週間も続き、家に弔問に訪れる人々を迎え入れる。この時に私は生まれて初めてのミサイルが空で爆発する音を聞いた。最初は花火が上がったと思った。イスラエルでは、各家庭に避難シェルターが備えられている。ミサイルが飛んでくると鉄のドームが察知して、空中で爆発させ、その欠片が落ちてくるので安全な場所に避難しなければならない。ガザのミサイルより早いイスラエルのミサイルが自動的に発射される。

ガザ地区の人々は、エジプトからイスラエルへと繋がる600もの地下トンネルを掘った。主に武器を運ぶので「テロ・トンネル」と呼ばれる。ハマスは民間人の各家庭にこのトンネルを掘るよう強要した。10年前はモグラが掘ったような穴だったが、今のトンネルは立派なコンクリート製である。このトンネルを掘るのはパレスチナ人の子供たちである。
パレスチナは子供たちに戦争を教え、イスラエルは邪悪だと吹き込み、洗脳する。不幸なことにユダヤ原理主義も似たようなことをしている。

ユダヤ原理主義は生活保護を貰いながら兵役にも就かず、ひたすら聖書を読み、子を増やす。それでは真面目に働いている人に対して、フェアーでないので、近年はイスラエル政府は彼らに、兵役と労働の義務を課した。

世界最大の紛争地・西岸地区
西岸地区(ヨルダン西岸地区)は長年、世界最大の紛争地。この地にアラブ人とイスラエル人は共存しているが、居住地域は分離されている。
両者の地域はフェンスで別けられている。アラブ側は荒野に羊飼いが驢馬を放牧し、煙がいつも立っていて聖書で描かれている遊牧民の生活そのもの。一方イスラエル側では、整然とした建造物、公園、カフェ、ショッピングモール。ネオンライト、ヤシの木が立ち並ぶ近代的な街。

テルアビブのダウンタウンではテロが頻発している。他国の人からは不思議がられるが、イスラエルは多民族国家なのでアラブ人もイスラエル人もこの地に共存する。同じ商店街で買い物し、お互いのレストランにも行き、病院でアラブ人の医者もたくさん働き、国民は問題もなく共存しているが、メディアはいつも対立のみを強調して報道し、憎しみを植え続けている。

科学技術先進国・イスラエル
紛争が果てしなく続くなかでもイスラエルは世界に貢献している。何人ものノーベル賞受賞者を輩出しているし、農業やテクノロジーなど数えきれないほどの分野で活躍している。砂漠に小麦が育つ技術や点滴灌漑システムという画期的な農業技術もある。鉄のドームと言われる精度の高い防空システムも開発した。インテルやマイクロソフトなどの巨大企業の研究拠点もある。

イスラエルの国や企業が技術革新者のために、失敗資金を用意しているので、自由な環境のなかで恐れずに想像力を発揮できる。

小さなイスラエルの視野の広いメンタリティー

知的好奇心を持つ
外国とコミュニケーションをとる
国を超えてグローバルな発想で考える



イスラエルの食文化
写真は地中海料理である。レストランに行くと、メニューで注文する前から、豆や野菜、オリーブオイルを使った数多くのサラダが出てくる。イスラエル人もアラブ人もひよこ豆が大好きで、毎日のようにフムスというひよこ豆ペーストを食べている。またファストフードとしてピタパンが有名。
イスラエルには、色々な国の食文化が入ってきた。例えば東ヨーロッパからはプレッチェルやベーグル。今では寿司が一番ポピュラー。ハリケーン寿司やクレイジー寿司など、面白い名前がついて味も美味しい。イスラエルでは果物がとても安く、例えばデーツ(ナツメヤシ)1㎏あたり200円ぐらい。また、乳酸品は、牛より健康的な水牛、羊、ヤギのミルクでできたチーズやヨーグルトも豊富。
ペルシャ料理もイスラエルで流行している。独裁政権となったイランから大量のユダヤ人移民が来てお店を開いたからだ。ペルシャ料理で一般的なのはバーベキューやピラフ。イランは昔、中東最大のユダヤ人コミュニティがあったが、1979年のイスラム革命後、大量のユダヤ人が国を出た。

日本とイスラエルの類似点・お勧めの本
約500ものヘブライ語の言葉が日本に伝えられている、という。詳しいことは、書籍「日本書紀と日本語のユダヤ起源」「大和民族はユダヤ人だった」「ユダヤ500年の知恵」「祇園祭りの大いなる秘密」参照。

歴史的にみても、ユダヤ人が国を失って各地へ放浪を始めた約2000年前に、日本にも渡来し、上記の本によると、大和朝廷の誕生に関係した。なので神道やユダヤ教、また古事記や日本書紀と聖書の類似点がある。また、祇園祭の響きはシオンから来ているとされる。