2004年12月26日日曜日

大震災が結ぶ神戸とバム

Activity-2

2004年12月26日
NPO 「ピース&ネイチャー」代表バハラム・イナンル氏は、関西で数少ないイランの平和活動家、バムの震災孤児を4人神戸へ招いた。バハラムさんが、神戸にはじ めて来たのは1995年。阪神大震災のボランティアとして横浜から一人でやってきて、そのまま神戸に住居を移した。イランのテヘラン出身で黒澤明監督の映 画や武道をきっかけに「平和の国」を知り、憧れていた。イラン・イラク戦争に従軍し、多くの知人や友人を失った。戦争の悲惨さを経験した。日本もまた悲惨 な経験をした国として世界に平和をアピールすることのできるはず。
現在もイラク、アフガニスタンなど、地球上では多くの人たちが苦しんでい る。何の罪もない子供たちが苦しんでいるのは堪え難い。今憧れの平和の国から、この子供たちに手を差し伸べたい。今、日本で知ることができない中東の現状 を伝えるために、バムの震災孤児を4人神戸へ招いた。

Activity-first-meeting

大震災イラン・バムと神戸を繋ぐ地球仲間フォーラムの
通訳としてバハラムさんに招かれた。
フォーラムは、母、プーリー・アナビアンの、
ペルシャ古典楽器サントゥールの演奏で始まった。
バムから招かれた子供たち4人はとても明るく
一瞬で冗談を言い合う仲間になった。

activity-koji

後列の左上に立っているのは廣田晃士。
彼は7ヶ月間もバムで震災孤児とテント暮らしをした。
助けるつもりで行ったのに逆にこっちが子供たちから
気配りと優しさを受け取った。バムの地獄のような
泥と寒さをしのげられたのは、子供たちの天真爛漫
な愛があったからだ。

Acitivity-4

午後6時に三宮の花時計の前で
「鎮魂と平和の祈り」
右上:イランのNGOのモル-ト・゙バシュナバエが
震災孤児の付き添いとして同行した。子供たちを喩えた
「バムのつぼみ」という名のNGOで彼女は一年間バムの
子供たちのケアし、教育の支援活動をしてきた。
次の写真は現地の状況。

Kojiinbam300_

モル-ト・゙バシュナバエ自身もテント生活をつづけ震災後
の厳しい状況を子供たちと一緒に耐え、火事に遭った
子供たちの救出にもあたった。

red-tent

神戸大震災の朝、ビルが横に倒れていたり、
パンケーキのようにぺしゃっと潰れていたが、中央道路に
崩れ落ちた、2万一千トンの瓦礫は、一週間後にジャッキ
で持ち上げられ、取り除かれた。電気も一週間後に送電
された。一方バムでは、大震災のとき、世界中から
テヘランにたくさんの援助物資が届いたが、バムまで
幹線道路が繋がっていなかったため、輸送が困難だった。
バムの子供たちと一緒に神戸を訪れたNPOのモルートさん
によると、仮設住宅もできず、ずっとテント生活。仮設で
電気を送電したが、漏電のためにテントのあちらこちらで
火災が発生した。個人の生活再建に政府の支援が届い
てない。一年経っても、二年経ってもバムは、まだ瓦礫の
中で埋もれたまま。

bam-signboard

震災孤児の心の傷は、ひどく誰も喋りたがらない。
でも、こんな大きな被害についてずっと沈黙を守る
わけにいかない。

4students

小学生たちのあふれ出る悲しみは、エッセイ
で表わすことで、心が癒された。

reading-essays

「自分だけが生き残ったことに正義はあるのか。
家族30人の死をひとりで負わなければならない」


out-the-tent

「なぜ自分だけがドアの側に寝て生き残たのか。
なぜ他の人はドアの側で寝なかったのか」

bam-orphan-in-suits

「テントの外になにも残されていない。星だけが
散らばっている。月が恐ろしいほどに大きい」

Helloanybodythere3

電話ごっこしているバムの子供たち。

彼女の声は世界に届くだろうか?NGO「バムの蕾」から子供たちへのプレゼント

が届いている。
キュピーちゃんも日本から助けに行っている。

Peaceprayers

神戸の子供たちもバム震災孤児の悲しみに加わって
蝋燭を灯した。

lighting-bamboo-candles2

竹から生まれたかぐや姫を探しているのかな。

12-26bamboos

バムには今2233人の孤児がいる。
一年前のバム地震の鎮魂と復興を祈る一分間
の黙祷が三宮の花時計の公園で行われた。

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12月26日、私たちは、バムの孤児たちと
神戸で最後の晩餐をした。
ホテルの部屋で、中華料理を注文するマンスール。

mansur

マンスールは、ボタンが大好き。ホテルの火災報知器を
ぜんぶ押してみた。するとホテルのスタッフは真っ赤、
彼の世話役は真っ青。

sleep-with-veil

バムの少女たちは、髪の毛を見せてくれなかった。
「ベールを外して見せてよ」
「いやだね」
「どうして?」
「外したら悪い子だと教えられたから」
「じゃ、ずっと良い子ね?」
「そうよ、夜もベールと一緒」

sepia-dinner

12月26 日、スマトラ島沖のニュースの報が入った。
それまでホテルの部屋で無邪気にはしゃいでいた
バムの子供たちが地震のことを聞き、スマトラ島沖が
どこにあるのかも分からず、急にすすり泣いた。
バム大震災からちょうど一年、私たちと同じ日に同じ
思いをしている人たちがいる!
苦しみも、喜びも、世界中の人たちと繋がっている。
直接の知り合いでなくても、友人の友人かもしれない。
友人の友人の友人の・・・・・・どこかで必ず繋がって
いるはず。

Bam3

Special Thanks to NPO Peace and Nature Mr. Bahram Enanloo for the Bam earthquake charity event and NGO Blossoms of Bam Mrs. Molud Beshnavai for providing the photographs of earthquake orphanages in Bam, Iran.



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