2006年1月1日日曜日

ペルシャの新年




三月二十一日。日本ではこの日は春分の日。この日を境にして 昼が夜より長くなる。光の世界が闇の世界より大きくなる。光 光明――そう 光明の宇宙、イランではこの日が新年。


古く2500年の昔、ペルシャ大帝国の多数の民族集団がもこの新年会を神殿で行ってきました。その時の帝国は、今のニューヨークのように世界の中心として 栄えていました。ペルシャに生まれたゾロアスター教。その神アフラ・マツダは光明と善の神様。ゾロアスター教の火祭りは、今でもシルクロードの各地でお祝 いしています。


 マンハッタンのど真ん中に、ペルシャのおせち料理で七つの食材を飾る習慣の一つに、ビック・アップルが入っています。(ご存知ない方へ、ニューヨークのあだ名もビックアップルです)




多宗教多民族異文化共存国家イランのお正月は、毎年ニューヨークのマンハッタンでセレモニーが行われる。年々、ペルシャのお正月のパレードがより華やかに開催される。この日は、交通規制まで行われる。


 イランの各民族が独特な衣装を纏います。各民族が特色を出し、イランは、イスラム一色の国ではないと世の中に訴える。こちらは、イラン北部・アゼルバイジャン地方の民族衣装です。...


 イランの各民族が、それぞれの山車を作り、虹色のイランを披露します。ちらっと翻っている旗は、イスラム革命前のライオンとお日さまの国旗です。2500 年前から受け継いだペルシャ・ライオンのシンボルマークは、イランイスラム革命で禁じられました。現在の国旗の中央は、コーランの文句に変わり、「アッ ラー以外、神は存在しない」とのアラビア文字がシンボルになっている。旗の中央にお説教を綴るのは、まったく大きなお世話です。国民の間では、ライオンの 旗の方が認められている。


 イラン北部・クルド地方の民族衣装。


 カスピ海に近いイラン北部は、何千年前から稲作文化が栄えたので、笊を持って踊ります。日本にも、泥鰌掬いがあるように。


 イラン南部の民族衣装。 騎馬民族の舞踊は、ズボンとブーツを身に着けます。


ペルシャのサンタさんだよ!日本でいう三河万歳や獅子舞などが玄関先で家の者を楽しませるように、イランでも「初笑」を誘うために道化師が現れます。顔を 黒くぬり、真っ赤な色で上着、ズボン、帽子を統一し、脇の下に太鼓を挟み、リズミカルに「私の名前はハジフィルーズ、私は一年に一日だけのお務め」と滑稽 な仕草で踊ります。 


サントさんに似ているマスコットがいます。実は、クリスマスも12月21日に行われるゾロアスター教の暦の冬至が起源と言われています。ペルシャの冬至で は、キャンドルを灯し、プレゼントを交換し、家に木を飾る習慣が昔からあります。一説によると、この習慣がシルクロードの最西端、ローマで 冬至をキリス ト教のクリスマスとして変形しまたと伝えられています。煙突から幸せを運ぶのはアメリカン・バージョンです。1921年にコカコーラの販売を増やすため に、会社が描いたマスコットなんです。サンタのおっちゃん、ものすっごく古い歴史があるように思われますが、この赤と白は、コカコーラ・コンパニーのイ メージ・カラーだったんです。冬にもコカコーラが売れますように、コカコーラをプレゼントしましょう。とキャッチフレーズを付けたんです。

 
ペルシャのおせち料理で七つのの食材を家で飾る習慣があります。ニューヨークのパレードでは、七つの食材を、大きな短冊に書かれ、一人一枚づつ持っていま す。☆健康と美を象徴するりんご ☆愛を芽生えさせる棗(なつめ) ☆悪を払う葫(にんにく) ☆忍耐強くなる酢 ☆誕生の象徴である麦の芽 ☆悪を善に 変えるペルシャの赤紫蘇 ☆人生をスイートにするプリン

 

イスラム一色に染められたイランは建前ののっぺらぼうの顔に過ぎない。多宗教・多民族・異文化共存国家である7色のイランは美しい。


イランは、豊かな色彩に溢れた衣装が各地によって特色があり、それぞれの民族や部族の伝統が異なります。しかし、現在はみんな黒いベールに覆われ、イランはモノクロの国になってしまいました。イランでなくなった色をマンハッタンで自由に爆発させている。


ニューヨークのマンハッタンで、鮮やかなイランの民族衣装オン・パレード。


ファッション街、ニューヨークのマンハッタンで、シラーズの民族衣装。シラーズは、ワインの発祥の地、詩人のオアシス、薔薇の街、夜の鶯の巣、イランの中心。


ペルシャの吟遊詩人がダフという太鼓を叩いています。太鼓の上には新年に詠うペルシャの詩が書かれています。


世界三代詩人と言われる、シラーズ地方のハーフェーズが描かれている。 彼は、シラーズの豊な黒髪と弓のような眉毛のペルシャ美人のことも歌っている。


シラーズの詩人を偲んで建てた記念碑。愛の香りは、一千年漂い続けると詠った。ハーフェーズの詩は、一千年たっても人々の心から消えることがない。


シラーズの山車。


シラーズの薔薇園エラム(楽園という意味)。300年前に建てられ、各時代の王様に受け継がれ、絶やすことなく薔薇の栽培が続けられた。


300年前に栄えたイランの古都、イスファハーンは、
「世界の半分」と言われた街。山車の上の地球にそう書かれている。


澄み渡ったペルシャ・ブルーのタイルを張り詰めた寺院が青空に溶け込んでいるペルシャの京都。


イスファハーンで有名な33のアーチ形の橋。夜の湖に写ると、66のアーチになる。


33の橋の冬化粧


イランは、豊で幅広い文化を持ち、時代と地域によって、それぞれ民族衣装と舞踊が異なっている。イラン、最後の王家、パーレビ時代では、そのカラフルな文 化を記録に残すため、国営テレビが収録をしていた。しかし、1979年のイスラム革命で女性は踊ることを禁じられ、プロのダンサーは西洋に移民し、バレ リーナの道を選んだ。


 奈良の東大寺の二月堂でお水取りの行事が始まります。今年のお水取りは、1255回目です。シルクロードの時代から、一度も途絶えることなく行われてきた のです。これも修験道の火渡りの起源です。三月の一日から二週間行われる水取りの松明は仏教の儀式で火を使うことで、一年の清めをしますが、実は、お水取 りの儀式は古代のゾロアスターの影響を受けている、と言われています。


イランでも、火の上を跳び越して、悪いものを火の中に消すお祭りが毎年行われます。古のペルシャに生まれたゾロアスター教から生まれたお祭りです。しかし 1979年のイランイスラム革命では、イスラム教中心の国となったので、このペルシャ起源の火祭りが禁じられました。イスラムのお坊さんが権力を握っり、 今はイスラム教の行事だけが公的に認められています。1979年のイランイスラム革命では、イスラム教中心の国になり、ペルシャ起源の火祭りが禁じられました。しかし、イスラム共和国が、このペルシャの新年 を禁じようとしてもみんな 家のなかで祝い続けています。2007年は、古のペルシャの文化が育んだ新年のお祝いが自由の国、アメリカで行われました。ギ リスト教もイスラム教も宗教の関係なく 融合し新年を祝います。これがシルクロードが繁栄した原点。



楔形文字で書かれた世界最初の人権宣言。これは聖書にも出てきます。キュロス王が宣言しました。「私はキュロス、王の中の王。私がバビロニアを解放したと き、それぞれの民族が、自分たちの神を信仰できるように法律を改めた。街の家々を建て直し、各宗教の寺院を復活させ、市民が平和に共存できるようにさせ た。この宣言によって、全ての人の人権と正義を保障する。」


ニューヨークでペルシャ9周年目のパレードを企画したスポンサーがオープニング
セレモニーを行い、そこでプーリー・アナビアンのサントゥールが披露された。


サントゥール演奏に飛び入りで太鼓も加わった。お正月に欠かせない楽器が、太鼓トンバック。


ペルシャの新年会のセレモニーはゾロアスター教から始まったけれど、
加わったイラン人は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。
ゾロアスター教は、6000年前の古代インド・ヨーロッパ語族(現代のイランの祖先)から
始まりました。

 私の祖父は、70歳で世界一大きなペルシャ錦コレクションを持って、ニューヨークへ亡命。92歳でアメリカ国籍の試験を通り、97歳で大往生。最後の日までマンハッタンの画廊に足を運んでいた。


新年になるとペルシャの家庭ではパーティーでいっぱいです。
一夜に1回のパーティーならいいけれど、2ヶ所、3ヶ所から招待され
毎晩がパーティー巡りです。招待してくれた人をまたお返しで招待しないと
いけないので、パーティーは永遠に続きます。


ところで、祖母はテヘランからニューヨークに移り住んで32年。
イランにいた時代からパティーに招待したり招待されたりが、果てしなく
続いています。

パーティーで祖母は踊り・・・


そして音楽が演奏されると、祖母が踊り出す


ペルシャのホームパーティーでは。みんなが吟遊詩人になってしまう。
奥でピアノを弾いているのは、プーリーアナビアン。


母は、サントゥールを演奏し・・・ 


そして、私は食べているばかり。
一応、お料理研究家として試食をしなければ。


お正月、ペルシャでは、昔から伝統的にいろんなお菓子を作る。
今年は、祖母から米粉クッキーを教えてもらった。


薔薇、カルダモン、米粉、砂糖、卵、それだけのシンプルなクッキーを
糸巻きの芯を使ってデザインします。


最近日本では、米粉でパンやお菓子を作ることが流行っている。”ゴパン”(ごはん+パン)って画期的なことと思われているみたいだけど。ペルシャでは、昔から伝統的に米粉を使って、いろんなお菓子を作ってきた。

米粉で作ったクッキーは、シャキシャキと口の中で溶ける。小麦粉と違って食感がザラザラしているが特徴。


1kg単位で作っても、毎日がパーティーだから、すぐに食べられてしまう。


ペルシャのスイーツには、必ずと言って良いほど薔薇水を使う。ここは、テヘランジェレス、世界で一大きなイラン人コミュニティーがあるロスアンジェルス。


テヘランジェレスの街の看板は、ペルシャ語。


懐かしい革命前の旗ライオンと太陽の旗が掛っている。


新年から13日目は、一人残らず野外に繰り出します。13の縁起の悪い数字を払いのけるために、再生を象徴する緑を求め、公園はピクニックしている家族で埋まっています。ロサンジェルスのすべての公園はイラン人に占領されてしまう。


女性がベールをかぶっていないところから、ここはイランではないことがわかるでしょう。

テヘランの風景を見ても一人残らず家から出て新年のピクニックを楽しんでいます。この日は空き巣狙いが大活躍。


杏の木の下で、ピクニックを楽しむ姿はまるで日本の花見の宴会風景にそっくり。


宴会の幹事さんも大変。みんなの荷物をこのように運ばないといけないから。


お茶沸かし機(つまり、墨で沸かす魔法瓶)が、ピクニックの会場まで運ばれていく。 


お金をいくら積んでもこの優雅さを買うことはできない。



サフランに漬けた黄金のキャバブ。


サフランとヨーグルトに漬けた口のなかでとろける魔法のチキンキャバブが出来上がり。


食後には、西瓜、メロン、サクランボ、コカコーラなどの味がする水たばこで一服。


一服してから、今度は「チェス」を楽しみます。



こんなことで喜べる大人が、まだいるんだ。後ろで腕を組んで真剣に見ている大人もいる。


 お正月は、自然界が生まれ変わる春分の日に当たるので、緑色の食事をつくるのがしきたり。
男性が真剣に香草と麺が入ったヨーグルトを作っている。


 新年は、新緑の春に訪れる。


新年お正月の象徴に、緑の飾りを作ります。日本の「かどまつ」のように。


緑の「かどまつ」をどこにでも飾ります。


車の中にも外にも飾っている。


少女も緑の服を着ている。ズボンの上にスカートを履く服装は、今風だけれど、何千年も前から遊牧民が着てきたファッション。



ニューヨークの祖母もこの春ペルシャの「かどまつ」を作った。レンズ豆を水に浸し、発芽させ、新芽がにょきにょきとでてきた。



ペルシャの春のお正月に飾る7草。この文化は長い旅をして、日本には七草粥として辿り着いた。お正月の御馳走を食べたお腹を調える、知恵の結晶になった。


こちらは、日本にない伝統。お正月に生きた金魚を買ってきて、お正月の新鮮な気持を表す。



お正月に金魚なんて、目から鱗が落ちるでしょう。


お正月と七草がこうして、露天で売られている。


ペルシャのおせち料理の7つの食材のなかで、いちばん美味しいものは人生をスイートにするプリン

こちらは、イスラム教以前のペルシャ純粋のロゴマーク。数千年に及ぶペルシャの純粋な哲学が凝縮されている形。男性には、三段の羽根が付いている。一段目 は、「善い思い」、二段目は、「善い言葉」、三段目は、「善い行い」を表している。最近、イランの若い人たちの間で、見直され、この形のネックレスが流行 している。


300年前の古都。旧“王のモスク” 芸術を愛したシャー・アッバース一世によって建築が開始され、26年間もかかって建てた。サファビー朝の特徴である 鍾乳洞のような天井の中心に描かれた青い星は、宇宙を包む神の目を表す。降り注ぐペルシャブルーの星々の魔力に捕らわれてしまう。



たくさんのタイルを張り詰め、何種類のブルーを使ったのでしょう?


ペルシャのお正月の旅行を終えて、間もなく、この青い楽園に立錐の余地もない人の群れ。緑の旗を掲げて、イランに自由と人権を取り戻すデモを起こし、世界にアピールした。


30年ぶりの大規模なデモ。30年前のホメイニー革命でも、これほどの人がこの青い楽園に集まらなかったほど。


天を仰ぐとこの世のものと思えないペルシャブルーの塔。下に目を移すと若い人たちの情熱。再び美しいイランを取り戻せるか。


ここは、イスファハーンの33の橋。湖に映って66に見える。日本の眼鏡橋と同じ。


33の橋の傍にあるレストラン。窓のガラスを通る光は虹色。